ディスコに車で乗り付けチップは1万円
プライベートでは、ジャニーズ事務所の合宿所に暮らしていたころから、夜な夜な抜け出しては寝る間も惜しんで遊んでいたという。その後、一人暮らしを始めた家は、東京・麻布十番の高級ディスコ・マハラジャの近所だった。歩いていける距離にもかかわらず、わざわざ車を走らせ、玄関で出迎えた黒服(黒いスーツを着た男性スタッフ)にチップで1万円を渡して駐車を頼んでいたとか。バブル真っ盛りの時代の話である。仕事も多忙をきわめ、朝から晩まで働き疲れていたのにディスコに通い詰めたのは、《携帯電話なんてない頃だから、とにかく現場に行かなきゃしょうがないのよ。俺が顔を出さなかったその日に、カワイイ子が来てたりしたら目も当てられないから》だという(『週刊文春』2021年8月26日号)。
当時、さまざまな女性と浮名を流し、マスコミに常に追いかけられていた。某トップアイドルと交際中には、自宅マンションを報道陣が取り囲むなか、予定どおり海外旅行へ出かけるため彼女をポルシェに乗せて強行突破し、成田空港へ向かったこともあった。虚を突かれた報道陣は慌てて2人を追うはめとなる。
彩子夫人と交際中も、《当時は夜中でも構わず玄関のチャイムを鳴らすわ、隣のマンションから盗撮されるわで。そうした積み重ねでマスコミ嫌いになっていた》とのちに語っている(『週刊文春』2019年5月2日・9日号)。
ちなみにもともとモデルだった夫人を田原が見初めたのは、仕事で北海道に向かう際、羽田空港でパラパラ雑誌を見ていたときだった。当時彼女は女性ファッション誌『CanCam』の専属モデルをしており、田原は自分も同誌で対談を連載中だったと思い出すと、編集長を通じて食事に誘う。とはいえ、田原の遊び人ぶりはよく知られていたのか警戒され、彼女から電話で連絡があったのは3カ月後だったという。
長女誕生の会見で飛び出した「ビッグ」発言
田原は以前から33歳で結婚すると公言しており、その歳になる4カ月前の1993年10月、夫人と婚姻届を提出した。だが、その日、自宅前に集まった報道陣からコメントを求められても一切答えず、このころ芸能人が結婚するとなれば恒例だった記者会見も行わなかった。翌年2月に長女が誕生したときもノーコメントを貫くつもりだったが、新居にマスコミが押し寄せるにいたり、産後まもない妻と愛娘を守らなければならないとの思いから会見を開く。彼が激しくバッシングされる原因となった、いわゆる「ビッグ」発言が飛び出したのはこのときである。
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