氷点下30度の食卓
1963年5月、梁は中国東北地方の黒龍江省チチハル市に生まれた。冬は氷点下30度以下にもなる。長く厳しい冬を、人々は漬物と保存食で乗り越えてきた。
「私の母はもともと日本人でした。戦後の混乱で中国に残された、いわゆる『残留孤児』。幼少時に中国の家庭に引き取られ、日本の出身だということを隠して育てられました。そうして中国人の父と結婚し、私を産んだ。料理上手の印象がありますが、家庭の食糧事情はかなり厳しかったみたいですね」
当時の中国は食料配給制が敷かれていた。1953年頃から米や小麦粉などの食料品は国家管理となり、人民には「糧票」と呼ばれる食料切符が支給された。だが、1人あたりの割当量はごくわずかだ。
「母に聞いた話では、お米の月の割当は1人500グラムくらい。お米は月に数えるほどしか口にしませんでした。でも、粟やコーリャン(中国・インドで飼料や酒の原料として使われる雑穀)なども美味しかったですよ。硬かったけど(笑)」
東北地方の黒龍江省では米は貴重品だった。主食は雑穀や収量の多いトウモロコシ。粉に挽き、水で練り上げて生地を作る。半球状の鉄鍋の内側に貼りつけ、煮込み料理の蒸気で蒸しパンに仕立てる。
「家にも大きな鉄鍋が一つあって、それで作る煮込み料理が美味しいんです。鉄鍋に貼りつけた蒸しパンをちぎって煮込みと一緒に食べるのが何よりのごちそうでした」
後に梁自身も「味坊鉄鍋荘」で手掛けることになる「鉄鍋炖(ティエグオドゥン)」という様式だ。
※約9000字の全文では、梁氏が日本に渡るまでの経緯が明かされています。全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と「文藝春秋」2026年3月号に掲載されています(松浦達也「味坊集団・梁宝璋 『ガチ中華の祖』はなぜ日本にやってきたか」)。この他にも、数多くの関連記事を「文藝春秋PLUS」でご覧いただけます。
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出典元
【文藝春秋 目次】芥川賞発表 受賞作二作全文掲載 鳥山まこと「時の家」 畠山丑雄「叫び」/忖度なき提言 高市首相の経済政策/緊急座談会 暴君トランプの新帝国主義
2026年3月号
2026年2月10日 発売
1650円(税込)
