地元高への進学を考えていた井端に、野村夫婦から電話が……

 多摩川グラウンドでは1年生の紀田彰一相手にバッティングピッチャーをやったことを鮮明に覚えている。

「このとき、紀田にバカバカ打たれました。一応、練習ではあったけど、もしも試合で投げたとしても“これ、まともにいったらやられるな”って思ったことは覚えています」

 野村がヤクルトの監督に就任し、港東ムースからも距離ができてしまった以上、他チームである井端との接点は完全に途切れてしまったものと思えた。

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 しかし、中学3年生の夏、井端の自宅に突然、野村から電話がかかってきた。プロ野球はちょうど、オールスターゲーム期間で小休止にあったと記憶している。井端が当時を振り返る。

プロ野球の監督から、中学生だった井端少年の自宅にいきなり電話が…… ©文藝春秋

「どうやって番号を調べたのかはわからないです。突然、自宅に野村さんから電話がかかってきて、“高校はどうするんだ? 堀越に行かないか”と、いつものボソッとした口調で言われました。

 僕としても、野村さんが偉大な人だっていうのはわかるんですけど、思春期の中学生だったので、“えっ、堀越っすか? いや、まだちょっと……”って答えてしまったんです(笑)。そもそも堀越がどんな高校かっていうのも全然わからなかったので。そこで電話を切って、そこから堀越についていろいろ調べたんです」

 このとき井端は「地元の神奈川で行きたい高校があるのですが……」と言い、具体的に「横浜商業か、日大藤沢を希望しています」と答えている。それを受けて野村は言った。

「それじゃあ、話をつけておいてあげようか」

 このときの心境について、井端は自著『土壇場力』(竹書房)において、次のように描写している。

 思いがけないことを言われ、僕はどう反応していいかわからなかったが、「あの野村さんが口を利いてくれるのだから」とある意味、太鼓判を押されたと勝手に思い込んでいた。自分の希望している高校に行けるんだと思い、有頂天にはならなかったが安心して中学生活を送っていた。

 そして、ここから事態は急展開を見せる。しばらくして、野村沙知代夫人から電話がかかってきたのだ。