「井端君、本当に申し訳ないんだけど……」

「井端君、本当に申し訳ないけど、うちの港東で日大藤沢に行きたいっていう子がいるから、枠を空けてほしいんだけど……」

野村沙知代からも井端少年に電話があった ©文藝春秋

 井端が振り返る。

「沙知代さんにそう言われたので、僕としては“ああ、もうどうぞ”、みたいな感じで答えました。そもそも、僕は港東に入っていないわけですから。そうしたら、まるで畳みかけるように、すぐに野村さんから電話がもう1回あったんです。また、“堀越に入らないか?”って」

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 後に、井端は「そもそも最初から堀越で話がついていたんじゃないのか?」と考えるようになる。息子・克則がいる堀越高校に有望な選手を集めれば、克則の悲願である「甲子園出場」も現実的なものになる。ひょっとしたら、有望選手を紹介する便宜を図ることで、学校側から何らかの見返りもあったのかもしれない。

 そのために、自分は声をかけられたのではないか?

「今考えれば、日大藤沢の話も本当ではなかったのかもしれません。途中で、そんな思いもありましたけど、それは聞くわけにもいかないし……。結果的には堀越に進んでよかったんですけど、本当は最初から堀越一本で話はついていて、“どういう風に話を持っていこうか”って考えていたのかなって、そんな気もしています」

 翌春、港東ムースから日大藤沢高校に進学した者はいなかった。

 このとき野村は、井端にこんなことも告げている。

「高校に行ったら、もうピッチャーは辞めて、ショート一本でいきなさい」

 それまで内野手の経験はほとんどなかった。どうして、野村がこんなことを言ったのか? 後に球界を代表する名ショートとして大活躍する「ショート・井端弘和」誕生のきっかけは、間違いなくこのとき野村が発した「このひと言」だった。

 一体どうして、野村は井端にショートを勧めたのか? その謎は、野村克也の死後明らかになる─。

次の記事に続く 「どうしてあのとき、野村克也さんは…」WBC日本代表・井端弘和監督がずっと不思議だった“名将の言葉”、没後に明らかとなったその『真意』とは

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