君のおかげだ――。

 この一言で、すべてが報われた気がした。そう思うのも無理はないほどに、イチローはこの1カ月、重荷を背負っていた。

満身創痍で臨んだ舞台

 あれは、2006年2月9日の夜のことだった。

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 神戸の街を歩くイチローが、足を引きずっていた。両足のふくらはぎがパンパンに張って、歩くこともままならない。予定外の練習でつい熱くなってしまったことが原因だったのだが、イチローのそんな姿を見るのは初めてだったので、驚いた。

 福岡でイチローがノドを潰してしまったときも、かすれた声に仰天した。張り切って声を出しすぎたからだとイチローは説明していたが、部屋の乾燥と蓄積した疲れが大きな要因となっていたことは明らかだった。韓国戦に2度目の敗退を喫した翌日は、あまりの悔しさに腹から声を出しすぎて腹筋が痛いとこぼしていた。

 イチローは、ボロボロになって戦っていた。そうまでして彼がこの舞台に賭けたのは、いったいなぜだったのだろうか。

©文藝春秋

 2月21日、福岡合宿の初日。イチローは、1カ月をともにする29人と初めて顔を合わせた。短期間でチームを成熟させる。しかもその中心には否応なく自らを置かなければならない。「僕もイヤな年代に入ってきたってことだね」とイチローは苦笑いを浮かべていた。

「戸惑いはありました。最初はみんなとの距離のとり方が難しかったし、空気もね。誰かと車で二人きりになったとき、会話をしなきゃと思う空気ってあるでしょ。そういう種類の難しさです。

 本当にいい関係ができていれば会話をしなくてもストレスを感じないはずだし、会話をして楽しいというのではなくて、会話をしなくても心地いいというのが一番いい関係だと僕は思っていますから、最初の頃の、どうしようって思わされる空気は……いやぁ、大変でしたね」

 福岡での1週間、イチローは何人かの選手と食事をして、その距離を縮めようとした。しかしこの頃はまだ、チームが一つにまとまっていく実感を抱くことはできなかった。

「どうしようもないですよ。練習だけでは限界があったし、本番のゲームを通してしか縮められないことがあるんだなと感じていました。それは、仕方のないことですね」

 否応なくイチローが主語になってしまうチームで、他の選手たちもそれぞれの距離をどういうふうにとったらいいのか、様子を窺っているようなところがあった。

次の記事に続く アメリカでも、ドミニカでも、キューバでもなく…なぜ日本が第1回WBCで世界一になれたのか? イチローが語る“世界トップクラスに勝てた日本野球の強み”

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