2018年7月6日、オウム真理教の教祖・麻原彰晃こと松本智津夫やその他5人とともに元オウム真理教幹部・中川智正元死刑囚が刑に処され、亡くなった。毒性学の世界的権威であり、死刑確定後の中川元死刑囚の面会相手であったコロラド州立大学のアンソニー・トゥー名誉教授が7月26日に『サリン事件死刑囚 中川智正との対話』(KADOKAWA)を上梓した。
トゥー教授のオウムとの奇妙な縁は1994年にはじまる。その年、学術誌「現代化学」上でトゥー教授が化学兵器についての論文を発表すると、悪用を恐れたためにかなり簡略化された内容だったにもかかわらず、教団はこの論文をヒントにVXガスを作り、会社員VX殺害事件などを起こしたのだ。松本サリン事件が起こった後には、トゥー教授が科学警察研究所に協力し、山梨県旧上九一色村の教団施設付近の土壌からサリン残留物が検出された経緯がある。
トゥー教授は、化学兵器開発に関与した元医師の中川元死刑囚に2011年から計15回面会した。著書と、中川元死刑囚と過ごした時間について聞いた。
死刑確定の二週間前に開始した文通をきっかけに面会へ
4年前に「サリン事件: 科学者の目でテロの真相に迫る」という本を出版したのですが、科学的な見地からオウムが起こした一連の事件について書いたもので、一般の方にとって読みやすいものではありませんでした。
そして、中川さんからは、生きている間は面会中の発言や手紙のやり取りを出版するのは基本的に控えてほしいというお願いがあった。そういった経緯で、今回中川さんが亡くなられた後にこの本を出版したわけです。
そもそも中川さんとお話をするようになったのは、オウムがどのようにしてサリンやVXガスなどの化学兵器を製造するに至ったかを知りたかったためです。
日本では、死刑判決が確定すると、死刑囚は判決以前から接触のあった人としかやり取りすることができません。幸い、私は中川さんの死刑が確定する2週間前に中川さんとの文通を開始しました。その後、法務省の特別許可を得て面会しています。
VXガスでの注目をきっかけに、論文執筆へ熱意を傾けた
面会を重ねていく中で、中川さんしか知りえないような話はたくさん出ましたから、それを世間に発表してはどうかとすすめました。2016年には「当事者が初めて明かすサリン事件の一つの真相」という題で「現代化学」11月号に中川さんの手記が掲載されました。
昨年2月に、北朝鮮の金正男暗殺事件があったときは、中川さんがマレーシア警察の発表の1日前に、自身の体験から「使われたのはVXガスにちがいない」と弁護士を通じてメールしてきてくれました。それを私が毎日新聞の記者に伝え、夕刊の一面に掲載される、大きなニュースになったことがあります。
自身の経験が他の人の役に立ったことを、中川さんは非常に喜んだようです。その後、自身の経験を活かし、VXガスについて英語で論文を書きたいと言っていたので、私も手伝いましたよ。ただし、途中で中川さんが広島拘置所に移されたので、共同執筆の作業は大変でした。広島拘置所には英語で検閲できる方がいらっしゃらず、論文は一旦大阪拘置所の検閲に回されていたそうです。
英語で論文が書き上がってからも、なかなか査読が通りませんでしたが、今年の5月、ついに日本法中毒学会の「Forensic Toxicology」電子版にてLetter to the Editor欄に掲載されました。
さらに、今年の6月から同じテーマで日本語論文を執筆していたのですが、これは「現代化学」2018年8月号に掲載されました。お医者さんというより化学者が書いたような、充実した化学論文でした。非常に頭のいい方なので、専門外の分野でも「やろう」と決めるとすぐにできてしまうのです。
この論文が掲載された号を見る前に亡くなってしまったので、残念だったろうと思います。