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「裁判は真実を究明する場ではない」 中川元死刑囚と論文を共同執筆 アンソニー・トゥー教授インタビュー

「裁判は真実を究明する場ではない」 中川元死刑囚と論文を共同執筆 アンソニー・トゥー教授インタビュー

毒性学の世界的権威が語る

genre : ニュース, 政治

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独房に暮らした中川元死刑囚の楽しみ

 特別許可を得て面会をしている身分ですから、主に化学兵器や生物兵器について伺うことにしていました。25分そういった話をして、「ご家族はどうされていますか」といった世間話を5分くらいする、という具合です。そういった面会であるにもかかわらず、非常に楽しみにしてくれていたみたいで、独房で暮らす中川さんの寂しさを感じることはありました。

2014年、平田信被告と中川智正元死刑囚を乗せて東京拘置所を出る特別護送車 ©時事通信社

 逃走していた三人の被疑者、平田信さん、高橋克也さん、菊地直子さん(のちに無罪確定)の裁判に中川さんが証人として出廷したのですが、その際の警備のものものしさを語る中川さんは笑顔でした。やはり外に出られて嬉しかったのでしょう。移動中にスカイツリーを見られるかと期待したけれども、車窓が締め切られていて見ることができなかったという話もしていました。

最後の面会では5キロ痩せ、「先生もお元気で」と声をかけた

 最後にお会いしたのは今年の4月、広島拘置所です。バスでの広島への移送が身体に応えて5キロ痩せたこと、移送の際に故郷の岡山の山々を見ることができて懐かしかったことなどを話していました。

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 別れ際は、「先生もお元気で。これが最後の面会かもしれません」「英語の論文では大変お世話になりました」と声をかけてくれました。なにか悟っていたのでしょう。

 彼が犯した罪は非常に重いと思います。ただ、それと同時に亡くなって寂しいという気持ちはありますよね。朗らかで、好感の持てる方でした。

中川元死刑囚が明かした、オウムの生物兵器テロ計画

 中川さんとお話しすることで、初めて明らかになったことがいくつもありました。

 たとえば、当初「一宗教団体がサリンを作れるはずがない」という先入観があり、米国では「オウムはロシアからなんらかの援助を受けていたのではないか」との見方が主流でした。私も、中川さんとの面会で一番始めに聞いた質問は、化学兵器開発にあたってロシアの援助があったかどうかでした。

 しかし、中川さんによれば主に土谷正実元死刑囚(教団内では第二厚生省大臣)が、私の論文やその他の文献にあたって、自力でサリンやVXを作っていたわけです。

 もうひとつ、中川さんと話して初めて明らかになったのは、オウムが化学兵器開発の前に、かなり本気で生物兵器に取り組んでいたということです。

 遠藤誠一元死刑囚(教団内では第一厚生省大臣)が中心となって、ボツリヌス菌や炭疽菌を使ったテロを計画していました。1990年にオウムが衆議院選挙で惨敗した直後、教団の運営を立て直すために石垣島で開催されたと見られていた合宿勉強会ですが(石垣島セミナー)、実は信者を石垣島に集めている間、東京でボツリヌス菌によるテロを起こすことが目的だったのです。

 幸いにも遠藤元死刑囚が主導して作った生物兵器は精度が悪く、テロは失敗しました。オウムはその後、化学兵器開発へと路線変更をしていきます。