変更点その2 ヒンドリーの不在、障害の代替
映画ではなんと、キャサリン(マーゴット・ロビー)の兄ヒンドリーがいない。だから、当然彼の息子のヘアトンも出てこず、アーンショウ家の直系男子はすでに絶えていることになる。これは非常に大きな変更点だ。
『嵐が丘』というのは、19世紀前葉に牧師の家に育ったエミリー・ブロンテが法律の知識を駆使して書いた「不動産相続小説」である。作中人物たちはヒースクリフの復讐の成就に向け、相続法に従って順序よく世を去り、財産が着々と彼のもとに集積していくように書かれている。
しかし今回フェネルは当時の社会制度や相続法などの要因は極力排している。
本作でそもそも話がこじれるのは、キャサリンとヒースクリフが結ばれないからだが、当時の相続法やコモンロー(判例法)をある程度頭に入れておくと、それに続く騒動やふたりの突飛な行動も理解しやすくなる。
「限嗣相続制度」という用語を、ドラマ「ダウントン・アビー」などで聞いたことがあるかたもいると思う。貴族やジェントリー階級では、土地財産の相続による分散を防ぐために、貴族なら爵位も含めたすべてを一人の子ども、ほぼ自動的に男性第一子に継がせる、非常に男女差別の強い制度だ。この男系の継承方法は因習として貴族より下の階級にも広まっていた。例えば、ジェイン・オースティンの『高慢と偏見』でもベネット家の子どもはみんな娘なので家督を継ぐものがおらず、コリンズという遠縁の男性が法定相続人になっている。
エドガーとの結婚はキャサリンの決死の策だった
原作『嵐が丘』におけるキャサリン・アーンショウの不幸の根源はここにあるのだ。この点を踏まえないと、キャサリンが「私はヒースクリフなのよ」とまで言う最愛の相手と結婚しない理由が、お金に目がくらんだかに見えてしまう。彼女が「ヒースクリフと結婚したら、落ちぶれて物乞いになるしかない」と言うのは、決して誇張ではない。原作のキャサリンは未婚でいる限り、兄ヒンドリー夫婦のもとで肩身狭く暮らせるかもしれないが、兄が目の敵にするヒースクリフと結婚すれば、ふたりとも追いだされ、路頭に迷うに違いない。

