チーム状態や選手の好不調によって打順の考え方は変わります。しかし固定観念に縛られてはいけません。1番から9番まで9イニングのトータルで「得点力」が上がるように考えて打線は組むべきでしょう。

「つなぎの2番」は過去の話

 最後にもうひとつ、私が2番を打っていたときの話を付け加えておきましょう。

 当時、1番を打っていたのは、同級生の真中満でした。内角打ちは天才的にうまく、積極的に打っていくバッターでした。

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真中満 ©文藝春秋

 ある試合、真中は2打線連続で初球を打って凡打しました。すると3打席目も初球を打ってアウトになりました。

 さすがに怒りが込み上げてきました。2番を打ったことがある選手なら分かるでしょうが、1番が初球を打ってアウトになると、初球から打ちにいけなくなります。たった2球で2アウトになるわけにはいかないからです。相手のバッテリーは、私が打ってこないのを見越して、簡単にストライクを取りにくるのです。

 当時の若松勉監督が私を2番に起用したのは、チーム打撃に徹するからです。若松監督ならどう考えるか? おそらく初球から打ちにいってヒットを打っても、怒られる可能性がありました。打ちにいきたい気持ちを必死に抑えましたが、ベンチで真中と顔を合わせると、抑えが効かず「お前、初球ばっかり打つなよ!」と文句を言いました。するとあっけらかんとした顔で真中は「えっ、なんで?」と答えました。「3打席も連続で初球を打ちにいったら、こっちが迷惑なんだよ」と言うと、「相手だってもう初球は打ってこないと思うじゃん」という答えでした。

「こっちの身になってみろ。お前が初球ばっかり打つと、こっちは1ストライクまで打てなくなるじゃないか」と文句を言い返しましたが、心の中では「こういうタイプが1番打者なんだな」と妙に納得したのを覚えています。

 実際、私は2番をメインに打っていたシーズンでは、2000年を除き3割を打てませんでした。クリーンアップ前の打順で必死に抑えにきたということもありますが、やはり2番は1番打者がダメだったときの「尻拭い」も仕事のひとつでした。

 今の時代の「2番打者」とは、まったく違う考えです。今の時代なら、私はどうだったのでしょう? 自由に打ちにいって打者としての能力が上がった可能性もありますが、私の持ち味はなかったかもしれません。

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