そのことにも驚かされたが、筆者がショックだったのは、出会ってから消えてしまうまでの数年間、親との関係や借金事情など、Mの裏側についてまったく知らなかったことだった。仕事はまじめにやっていたし、金がなくていつもピーピーしていた、はずだった。

それでも、元旅行会社勤務で添乗員などもしていた強みを生かし、旅行情報誌などで頭角を現し、忙しく海外を飛び回っていると信じていたのだ。でも、Mはピーピーなどしていなかった。親からせびった金で好きなものを買い、見栄を張った暮らしをしていた。それでも足りずに借金がかさむほどに。

捜索にあたって連絡を取った地元の友人なども、陽気で行動力のある男としてMを認識していたから、一貫してそういうキャラクターを演じていたのだろう。蒸発するほど追い込まれる前に、なぜ相談してくれなかったのかと関係者たちは嘆いたが、すべては後の祭りだった。

ADVERTISEMENT

Mは完全に蒸発し、現在まで消息不明なままである。

姿を消した人が流れ着く先とは

それぞれの事情で行き場をなくし、最後の手段として姿を消すことを選んだ『蒸発』に登場する人たちは、都会の片隅にひっそりと紛れている場合もあれば、カップルでラブホテルに住み込み、息を殺すように暮らしている人もいる。

本作は涙・苦悩・劇的な発見などドラマティックな展開ではなく、むしろ淡々と彼らの知られざる日常を追う。そのリアルな描写から、厳しい現実だけではなく、人生をリセットしたことで得られるかすかな希望も感じられる。

それはなんとか食べていけているからだとも思う。本当に食い詰めてしまったら、社会から見限られたと感じたら、蒸発することさえあきらめ、万引きなどの、比較的軽い犯罪に走るかもしれない。筆者は長年、裁判傍聴をライフワークのひとつにしてきたが、被告はそうした背景を持つ者が多かった。服役を終えて社会に戻っても受け入れてくれるところがなく、また刑務所に舞い戻ってくる高齢者もたくさんいる。