三瀬のことをスカウトというより、野球選手として認識している野球ファンも多いに違いない。三瀬もそれを現場で実感するという。
「初めてお会いした指導者の方に名刺をお渡しすると、『おぉ~』となることも多いです。変わった苗字なので、私の現役時代を覚えてくださる方も多いようです」
03年ドラフト会議で、三瀬はダイエー(現ソフトバンク)から7巡目指名を受けている。
所属先のNTT西日本中国野球クラブが休部となり、27歳でプロ入りした「オールドルーキー」だった。プロ1年目からクローザーに抜擢され、いきなり32セーブポイントを記録。同年の新人王、最優秀救援投手を受賞した。その後もリリーフとして活躍し、10年にはトレードで中日に移籍。通算317試合に登板し、14年かぎりでユニホームを脱いだ。
そして、三瀬は中日の九州地区担当スカウトに就任する。
「前任者が暫定的にスカウトになった方で、引き継ぎをほとんどされないまま九州担当になりました。最初はひたすら強豪校にアポを取って、挨拶に回っていましたね」
どんなに苦しい状況でも飄々と、堂々としていた山本
宮崎県の強豪校をリストアップするなか、都城に行き当たった。何も知らずにグラウンドに足を運ぶと、そこにたまたま2年生の山本がいた。三瀬が初めて実戦での登板を見たのは、15年5月にひなたサンマリンスタジアム宮崎で開催された招待試合。バックネット裏には、何十人ものスカウトが集結していた。
「東海大相模の小笠原慎之介(現ナショナルズ)、県岐阜商の高橋純平(元ソフトバンク)と同年のドラフト1位候補が揃い踏みするとあって、当然ながらスカウトの注目度も高い試合でした」
都城の山本は、小笠原と投げ合うことになった。だが、あいにく天候は雨。せっかく全国屈指の名門校を招待しただけに、中止の判断は下しにくかったのだろう。土砂降りのなか、試合は決行された。
三瀬は初めて実戦マウンドで投げる山本に対して、こんな印象を抱いたという。
「投げにくそうだなって。内野の土の部分に水たまりが浮いていて、ゴロが飛べば内野安打になるような状況でした。球速は140キロを超えていて、いいボールでしたけど、雨の影響でコントロールに苦しんでいました。ただ、どんなに苦しい状況でも飄々としていて、堂々としていましたね」
この試合は、プロのスカウト幹部クラスも多く視察している。中日もスカウト部長の中田が同席した。だが、中田をはじめ多くのスカウトは、山本のことを記憶していないという。
目当てが小笠原や高橋で、山本がドラフト対象年ではなかったことも大きな要因だった。
そして、山本のパフォーマンス自体もスカウト陣に響く内容ではなかったということだろう。
ただし、三瀬は九州地区担当として、山本をマークすることを決めている。
「体格は平凡でしたが、投げ方にしなやかさと強さがあって、トータルしてレベルが高いピッチャー、という第一印象でした。これからもっとよくなる予感がしましたね」
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