満洲国消滅
玉音放送後に大本営は全軍向けの停戦命令を出しており、関東軍でもこれを受電した。8月15日の午後11時に届いたのが「積極侵攻作戦の中止」の命令(「大陸命第1381号」)、翌16日午後6時に受信したのが、自衛のためやむを得ない場合を除く「即時戦闘停止」命令(「大陸命第1382号」)だ。これらを受けて関東軍司令部は、16日午後10時に隷下部隊に対して速やかな戦闘行動停止を命令した。
満洲国皇帝の溥儀は、避難先となった満洲と朝鮮の国境近く大栗子溝にある鉱業所所長宅で、8月15日のポツダム宣言受諾の放送を聴いた。17日の夜に鉱業所の職員住宅で開かれた満洲国幹部による会議で満洲国の解散が決まり、翌18日の午前1時に溥儀が「退位詔書」を読み上げる。こうして満洲国は消滅した。また新京は旧称の長春に復することになった。
もっとも避難民の流れは止まらない。各地から日本人避難民がなだれ込んでいる新京は無政府状態で、日々治安が悪化する。このため日本人避難民の連携と保護を目的とする「新京日本人会」が8月19日に結成された。
満洲国政府の日本人幹部は、皇帝と一緒に朝鮮国境近くにいた。また関東軍もソ連軍との停戦交渉で手一杯だ。そこでこの日本人会は、満銀のほか南満洲鉄道、満洲重工業開発、満洲電信電話など、新京に残った国策会社の幹部らが中心となって運営することになった。
そして同じ8月19日、ソ連軍が新京(長春)に進駐してきた。
