急斜面の上に現れた石垣

 度々休み、息を整えながら、ようやく観音正寺の境内にたどりつく。

観音正寺本堂。城があった時代は麓に移転させられていたとか

 標高365mの境内からは、南と西に眺望が開けている。嘘か真か、逢坂峠を越えて近江へ攻め込む軍勢の土埃がここから視認でき、ゆえに六角家が城を構えた、との説もある。

境内から南西の眺望。はるか甲賀まで見通しが利く

 城の主要な遺構は西側に固まっているのだが、まずは東へと足を伸ばす。整備された道を5分も歩くと(でん)布施淡路丸にたどりつく。

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 ほぼ並行移動で楽ちん。ここが城のほぼ東端。ちなみに「伝」と付くのは「そう伝えられている」ということで、ここが本当に布施淡路丸なのかは諸説あり、くらいのニュアンスだ。

伝布施淡路丸を下から見上げる

 伝布施淡路丸は基本的に土の急斜面だが、よく見ると上端あたりだけ石垣が積まれている。それもビッシリと丁寧に。これは登りたくなってくる。曲輪の西側から、かすかな踏み跡をたどってゆく。

伝布施淡路丸の城内

 墓石が点在する曲輪内は、ほぼ正方形で、四方を土塁か石垣で囲ってある。窪地状の方形曲輪は、甲賀や伊賀でよく見られるタイプだ。それにしても石垣がキレイに残っているのが嬉しい。

 石垣によって高さも稼げるし、城兵が身を隠す盾にもなる。攻め上ってくる敵に対して、実に効果的な構造だといえる。

あえて細道に寄り道する

 東端を攻略後、今度こそ西へ向かう。観音正寺を通って行くのが近道かつ歩きやすいのだが、またしても寄り道。伝布施淡路丸すぐ西の分岐を北へ。あえて細い道へと足を踏み入れる。

木立の間に登山道が伸びている

 といっても、案ずるほどではない。ところどころ木の階段も整備された明確な登山道は登り勾配だが、先ほどの石段ほどきつくない。

 こちらに足を向けた理由は、縄張図にいくつも曲輪跡の表示が並んでいたからだ。

ブックレット『観音寺城跡』(滋賀県教育委員会)より引用

 各曲輪にある「伊庭」「三井」「馬淵」などは六角家臣団の名前。これは尾根上以外の曲輪でも同様で、「平井」「落合」「池田」「木村」などもそうだ。

 六角軍団の充実ぶりが感じられるが、実は家臣の権利が他家に比べて強く、当主の権力は制限されていたとか。殿のもとに集結しながらも独立心旺盛だったことのあらわれが、曲輪名からも感じられる。