後藤田の言葉を高市はどう感じたのか
PKO活動に許されるのは丸腰での停戦監視までだと強調する後藤田に対して、グローバリズムが喧伝され始めた時代の申し子のように、高市は世情をなぞる問いを投げかける。
《高市 日本は平和憲法だから、ここまでしかできないということが、世界各国の理解を得られるでしょうか。
後藤田 しかし、日本の憲法は人類の理想じゃないの。私はその理想を捨てる必要は一つもないと思う》
後藤田は、憲法九条さえ護持すれば平和が守られるといった、戦後左派が時に見せる現実離れした平和主義を開陳したわけではないだろう。実際、後藤田はこの対談で、国際貢献における自衛隊の役割を、武力行使にならない範囲でいかに設定するかを具体的に説いている。その意味で、憲法九条を人類の理想として掲げたうえで未来に向けていったん凍結し、国際環境の現実に対しては条項によって対応していくという、石橋湛山が唱えた「九条凍結論」の系譜にあると言える。高市が疑いを持たずに語るグローバルな世界認識が、戦争体験を経た平和構築の理想を打ち捨てかねないことを案じて、あえて原則を語ったのだと思われる。
高市が拠り所とするのはやはり、他国に軍事介入を繰り返してきたアメリカ流なのであろう。
《高市 しかし、米国でも英国でも、紛争中のところに出かけていきますよね。それは平和や自由という世界的な価値観を守る意識だと思うんです。
後藤田 それは大国の論理だね。世界的な価値観を守るというのは大義名分だ。石油権益をめぐる大国の争いが、湾岸戦争の背景にはあるのではないか》
後藤田は高市に、アメリカ中心の世界秩序とは大国の横暴がまかり通ることでもあると繰り返し説き聞かせようとするのだが、これも高市にどう届いたかは分からない。しかし私は、この対談での後藤田との邂逅が、高市の体内に一片の記憶であっても残っていることを願う。(文中敬称略)
※本記事の全文(9000字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」と「文藝春秋」2026年4月号に掲載されています(保阪正康「戦争を知らない高市に後藤田が語った言葉」)。
