裁判官は「身内からの批判」を恐れている
再審請求があっても「門前払い」を選択する裁判官が多いのは、再審に関する規定が非常に少ないからですが、裁判官の世界に存在する特異な「常識と秩序」も、再審開始決定を書くハードルを高くしている要因なのではないか、という気がします。
たとえば、再審開始を決定したある裁判官によると、「これは再審開始だな」と思った時に、まず頭をよぎったのは、右陪席、左陪席(3人の裁判官が合議して審理する場合に、裁判長の左右に座る陪席裁判官)がどう考えるか、だったそうです。「自分が再審開始を決めて、それが上級審でひっくり返されたら、右陪席、左陪席の将来に何か悪い影響を与えはしないか」と思ってしまう。言葉を換えれば、再審請求をした当人の人生よりも、裁判官コミュニティーにいる仲間の人生を考えてしまうわけです。
結局、その裁判官が右陪席と左陪席に意見を聞くと、2人とも「再審開始だと思います」と言ってくれたので、安心して決定を書けたということでした。
裁判官は、再審開始決定を書くこと自体が怖いのではなく、その決定が上級審で覆されることが怖いのです。法律と自らの良心に従って判断すればいいはずなのに、自分が出した決定がひっくり返されると、事実認定能力や法律判断力に疑問符をつけられるかもしれないと考える。裁判官コミュニティーが批判されて自分たちの評判が下がることを、非常に恐れているように見えます。
「国民から信頼されている」という自負
こうした傾向は、裁判官が国民の信頼度の高い職業である、ということと関係していると思います。世界的な世論調査会社のイプソス社が2024年にオンラインで実施した「職業信頼度調査」(調査対象:世界32ヵ国、2万3530人。日本は1000人)では、日本で信頼されている職業のトップは、医師(41%)、裁判官(36%)、科学者(34%)で、対象国のなかでも裁判官の信頼度が特に高かったそうです。
ありていに言えば、日本の裁判官は過去の裁判について、「検察官の捜査が間違っていたというならいいけれど、裁判所がそれを見抜けず間違った判断をしていたと認めて国民の信頼を失ってしまうのは嫌だ。自分たちは国民から信頼されていると、常に感じていたい」という気持ちが、とても強いのではないでしょうか。
もう一つ気になるのは、裁判官のなかには自分たちを「治安の守護者」だと思っている人たちが少なからず存在することです。元東京高裁判事で、裁判所と検察の一体性を批判した下村幸雄さんは「もともと裁判官は『法と秩序』側に属する人間である。裁判官の心の中には検察官がいる」と指摘していますが、このような裁判官は今もいるようです。