その後も、窃盗、詐欺、強盗などで刑務所を出たり入ったりし、20年間で15年以上も服役。獄中で自動車整備士免許を取得したが、出所後は前科や国籍を理由に正業に就くことはできなかった。初めての結婚は1959年に出所した直後で、相手は日本人女性。掛川市内で飲み屋を始めたものの経営は上手くいかず、その後も複数の事業に失敗したことや、金の女性問題などから1967年末に離婚する。

金銭トラブルで地元ヤクザを射殺

 事件の始まりは1967年末。当時、金は39歳で、地元暴力団との手形トラブルに巻き込まれていた。

 手形を担保に知人から18万円を借り、借金は中古車を売り返済済みだったのだが、金の手元に手形は戻らなかったばかりか、なぜかその手形が稲川一家静岡大岩支部の幹部で金融業を営んでいた曽我幸男(当時36歳)のもとに渡っていた。

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 曽我は金を脅し、35万円を取り立てようと計画。金は九州から青森まで逃げ回ったが、横浜にいるところを曽我らに発見され返済を約束、1968年2月20日に清水市旭町のクラブ「みんくす」で落ち合うことになる。この時点で金は理不尽な要求を繰り返す曽我を殺害する決意を固めていた。

 当日19時過ぎ、金の遊び仲間3人が「みんくす」を訪れ、金は1時間後に来店。このとき、金の車「プリンススカイライン1500」にはライフル銃や実弾、ダイナマイトなどが積み込まれていた。

 曽我はすでに来店しており、顔を出した金に「金を返せ」と迫る。「待ってくれ」と懇願する金に曽我が「何をこの野郎! てめーら朝公がちょうたれたことをこくな!」と罵倒したことで、金は「電話をかけてくる」といったんその場を離れた後、30分後にライフル銃を手に戻ってきて、曽我の体に6発の銃弾を撃ち込み殺害する。さらに止めようとした曽我の子分で準構成員の大森靖司(同18歳)にも4発を放ち射殺。

 乗ってきた車で逃亡し、そのまま日本平に上る。標高300メートルの丘陵地から清水の街を見下ろしたとき、これまで受けてきた日本人の朝鮮人に対する差別に猛烈な怒りと悔しさが湧いてきた。すでに、自分は2人を殺害済み。かくなるうえは、どこかに籠城し、この憎しみを世に知らしめようと決意する。金の新たな戦いの幕開けだった。