ミラノ・コルティナ五輪のフィギュアスケートペア。フリーの「グラディエーター」をパーフェクトに演じ切った三浦璃来&木原龍一(りくりゅう)ペアは、ラストで、木原が渾身の力で三浦を持ち上げる。三浦は金メダルをつかむかのように、天に向かってこぶしを突き上げた。

 日本フィギュアスケート史初となるペアの五輪金メダルを、ショート5位からの大逆転でつかみとった2人。その奇跡のメダルには、運命的な出会い、そしてお互いを思いやる7年間の歩みがあった。

『週刊文春WOMAN 2026春号』から一部を抜粋・転載します。

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始めて滑った瞬間、「稲妻が落ちたよう」な衝撃を受けた

今年2月のミラノ・コルティナ五輪。Sunao Noto/JMPA

 出会いは、2019年の夏。木原は脳震盪や肩の関節損傷を負い、地元名古屋のリンクでアルバイトをしながら引退も考えていた。すでにペアとして五輪に二度出場したものの、自分への自信はなかった。

「周りの友人はみな社会人になって働いている。自分はスケートしかしていないという焦りがありました」

 一方、新たなペアの相手を探していた三浦璃来からトライアウトの申し出があり、滑った瞬間、2人は「稲妻が落ちたよう」という衝撃を受けた。

「スケーティングの相性が驚きでした。滑った一歩目で『スピードが乗るな。この子とだとワンプッシュでこんなに滑れるんだな』と思いました」(木原)

「ツイストリフトをやってみたら1回目から、こんなに上がるんだとびっくりしました」(三浦)

シングル時代が長かった木原

今年2月のミラノ・コルティナ五輪。Sunao Noto/JMPA

 運命的な出会いを果たした9歳差の2人だが、それまでは違うスケート人生を歩んできた。

 三浦がスケートを始めたのは4歳のとき。

「ミニーマウスがスケートの演技をするアニメを何度も巻き戻して見て『私も滑れる』といって真似して動きまわっていたことで、スケート教室に入れてもらいました。ミニーはリフトのような技もしていて、今思えばペアを滑る運命だったのかも知れません」

 小学3年生の時、小柄な三浦は日本スケート連盟からスカウトされ、ペアに転向した。

「トライアウトに行ってみたら、リフトは『高い高い』されているみたいで楽しいし、スロージャンプは着地できた時のスカッと感がすごくて。『遊園地みたい!』って思いました」

 一方の木原は、シングル時代が長かった。

「4歳の時に、僕が活発すぎたので疲れさせるために母がスケート教室やバレエ、体操教室に通わせて、唯一脱走しなかったのがスケートでした」

 2011年には世界ジュニア選手権10位と活躍。全日本選手権も3度出場した。木原が20歳の時に、ソチ五輪出場に向けてペアの相手を探していた高橋成美に声をかけられ、「五輪を目指して挑戦するというのは、今しかできない」と転向を決意。その後、ソチ五輪、平昌五輪と出場した。