木下恵介に叱られた
一方、黒澤組と対照的だったのが、木下恵介監督の木下組です。
映画では佐田啓二さんと高峰秀子さんの『二人で歩いた幾春秋』(62年)、『春の夢』(60年)、『父』(88年)に出演させていただきました。
木下さんは、常日頃から「役者は小道具の一つです」と公言なさるような監督さんでしたが、その一方で、黒澤さんとは違って、ライティングのテストの時でも、俳優さんをセットの中に入れないんですね。
こっちは貧乏性だから「入りましょうか」なんて言っちゃうんだけれど、「いいの、いいの」って助監督の方やスタッフの方が代わりに全部やってくださった。すごく役者を大事にしてくれる監督さんでしたね。
『父』は板東英二さんが主演で、共演が太地喜和子さん。鹿児島弁がとても難しくて、木下先生に「ちゃんとやらないといつまでたっても終わらないのよ!」ってよく叱られたものです。
「007」で海女さん役?
そういえば、私、一度だけ外国映画に出ないかと誘われたことがあるんですよ。丹波哲郎さんや若林映子さん、浜美枝さんが出演して話題となった『007は二度死ぬ』(67年)です。
役柄を聞いてお断りいたしましたよ。どんな役か? 海女さんの役だったんです。裸になって海に潜る、って聞いただけで恥ずかしくて恥ずかしくて駄目でしたね。
裸といえば、入浴シーンが嫌で嫌でしようがなかった映画もありました。
あれは川島雄三監督の『幕末太陽傳』(57年)。当時はまだ、今村昌平さんが助監督のチーフでいらした。それで今村さんが私に言うんです。「少し先に入浴シーンを撮るんですが、ご都合いかがでしょうか?」って。
こちらはご都合を聞かれても困っちゃうばかりで、「ええーッ」なんて驚いていたら、裸じゃなくてかまわないから、水着着てお風呂に入ってください、と。それにしても水着を着て、頭はヅラ被ったままという姿は相当可笑しいものでしたよ(笑)。
川島監督の作品では、北原三枝さんや三橋達也さんが出演された『愛のお荷物』(55年)や若尾文子さんの『雁の寺』(62年)、淡島千景さんや新珠三千代さんがお出になられていた『赤坂の姉妹 夜の肌』(60年)などにも出演させていただきました。「ああしろ」とか、「こうしろ」とか、ほとんど何にもおっしゃらない監督さんで、とてもシャイな方でしたね。
「ああしろ、こうしろ」って一番細かく指導なさったのは、私が知るかぎりではマキノ雅弘監督だったように思います。
ちょっと意地悪じいさん、成瀬巳喜男
それからちょっと意地悪じいさんだったのが、成瀬巳喜男監督(笑)。乙羽信子さんの『秋立ちぬ』(60年)、高峰秀子さんが主演の『放浪記』(62年)、『女の歴史』(63年)などでご一緒させていただきました。
成瀬さんもとっても静かな方でしたけれど、スクリプター泣かせで有名でした。スクリプターに絶対に絵コンテを見せないんです。スクリプターさんが「絵コンテを監督が見せてくれないんだ。すぐ隠しちゃうんだ」っていつもこぼしていたのをよく覚えています。
その点、黒澤監督や加藤泰監督なんかは監督が描いた絵コンテを役者全員に配っていました。役者さんにとっても、普通は絵コンテまで分かっていたほうが、自分の立ち位置もよくわかって感じが掴みやすいんでしょうね。