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シワ一本ギャラのもと

 私などは、いまだにどのキャメラが今狙っているのかよくわかっていませんから、どちらであってもそうかわりはないのですけれど。よくいえば、ケ・セラ・セラとでもいえばいいのか、ずっとこんな調子で役者生活を送ってきてしまいました。

 ただ、こんな私でも40歳になるぐらいまでは、少しでも上手い役者になりたいと考えて努力はしていたんですよ(笑)。でも、40歳を境に考え方が少し変わったんですね。自然に振る舞うのが一番いいのじゃないかなあと思うようになりました。

 話が少し逸れますが、いつだったか、沢村貞子さんとおしゃべりしていて、女優さんの中には年とってくると、皮膚を吊ったり伸ばしたり、整形する方もいらっしゃるそうですね、という話になったことがあります。

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「私だってね、鼻をもう少し高くして、目を大きくして、口を小さくしたいと思ったこともありますよ。でもそれじゃあ、首すげ替えろっていわれそうで……」と沢村さんに言いますと、沢村さんは大まじめで、

「あなた、整形しちゃだめよ」

 とおっしゃるのです。

沢村貞子さん ©文藝春秋

「われわれにとっては、シワ一本ギャラのもとなんだから」

 ふたりして大笑いしたものです。それ以来、鏡をみるたびに「シワ一本ギャラのもと」「シワ一本ギャラのもと」とおまじないのように唱えています。

あまりに早口だった森繁さん

 若い頃から、ワキ役一筋、そして老け役が多かった私ですが、年をとって、与えられた役柄に実際の年齢が追いつくようになってからはなお一層そう感じることが多くなりました。

 私など本を読む力もありませんから、いつも完成した映画の出来上がりを見てびっくりしたものです。演じていたときは気づいていなかったのだけれど、この作品はこんなに素晴らしい映画だったんだって思うこともしばしばです。

 野村芳太郎監督の『張込み』(57年)はまさにそんな映画のひとつでした。私の役柄は刑事の女房役で、いつものとおりそんなに出番もなくて、オープンセットで演じた記憶が残るだけなのですが、ラッシュを観たときは本当に感動いたしました。

 今では撮影中に自分の演技場面をモニターでチェックするのが当たり前になりましたが、昔はラッシュでしか見ることができなかったんです。監督さんをはじめ、スタッフの方も役者連中もみんな手さぐりの作業をやってきて、ラッシュを見る。これは独特の緊張感がございました。

 野村監督とはその後『人生劇場』(72年)や『砂の器』(74年)でもご一緒させていただきました。

1996年撮影 ©文藝春秋

 監督さんで他に強く印象に残っているのは、久松静児監督でしょうか。

 森繁久彌さんが主演された『雨情』(57年)などに出演させていただきました。あんまり早口なものですから、何を言われているのかわからなくて困ったりしましたが、とても人情に厚い方なんですね。

女看守役の仕事

 原節子さん、田中絹代さん、木暮実千代さん、久我美子さんなど、それぞれ一世を風靡した大女優の方々がお出になられた『女囚と共に』(56年)という和歌山の刑務所を舞台にした映画がありました。私の役は刑務所の女看守だったんですが、そのとき、私は子供を出産したばかりで、子供はまだ5カ月ぐらいだったんです。

 最初の話では、2、3日で済む撮影だからということだったので、主人もそれなら行ってこいと送りだしてくれたのですが、行ってみたらとんでもない。なかなか帰してくれないんです。スタッフの方にそれとなく訴えても、相手にしてもらえない。当時の映画界はそういうところが厳しかったのですが、そのうちお乳が張ってきてどうしようもなくなってきてしまいました。それで思い切って久松監督に直訴したんです。

 そうしたら監督は「僕は芸術には厳しいけれど、人情には弱いんだ。一晩だけ帰ってきなさい」とおっしゃってくれました。

 その頃はまだ新幹線も開通していませんでしたから、夜行で帰って、翌朝東京に着いて、その日の晩には現場に戻りました。

 まだまだ他にもお世話になった監督さんはたくさんいらっしゃいます。

 吉永小百合さんと浜田光夫さんが共演された『キューポラのある街』(62年)の浦山桐郎監督、『サンダカン八番娼館望郷』(74年)や『深い河』(95年)の熊井啓監督、黒澤組の助監督時代からよく存じあげている『豚と軍艦』(61年)の今村昌平監督、『怪談』(64年)の小林正樹監督、『不信のとき』(68年)の今井正監督。『肉弾』(68年)を撮っていただいた頃の岡本喜八監督は本当にお若かった……。