絶対に座らない田中絹代、神々しかった原節子
数え出したら切りがございませんし、監督さんだけでなくて、共演した役者さんの思い出だって尽きることがありません。なかでも『サンダカン八番娼館』でご一緒した田中絹代さんは、本当にプロ中のプロの女優さんでした。
撮影の休憩中、私なんかどこでもお構いなしに座り込んでしまうのですが、田中さんは絶対に座らない。なぜかというと、座ってしまうと必ず洋服にシワが寄るからなんですね。それから、演技のために必要だからって、腕の血管を浮き上がらせるために、手に輪ゴムを巻いて縛ったりなさっているのを拝見したこともあります。
原節子さんは、私があらためて言うまでもないことでしょうが、本当に美しい方でした。大柄な方でしたが、女の私ですら惚れ惚れと見とれるぐらい。男女問わず憧れの的でしたね。
もちろん雲の上の方でしたからそれはど親しくお話しするチャンスがあったわけではございませんが、結髪の際などに隣同士になったりすると、外見のイメージとは全然違ってとても気さくに話してくださる方でしたよ。
ああいう女優さんは今後はもう出ないでしょうね。神々しさすら感じるスターなんて、今の時代では現れませんよ。やっぱりテレビがよくないんですね。親近感が強くなりすぎて、原さんのような存在には決してなれません。
伊丹十三『お葬式』 理想だった「普通の奥さん役」
そうそう、最後に私にとって忘れることのできない作品を撮っていただいた監督さんの話をさせてください。『お葬式』(84年)を撮っていただいた伊丹十三監督です。それはなにも私が日本アカデミー賞助演賞をいただいたからではないのです。『お葬式』の話があったときは、台本を読ませていただいたとたん、
「ぜひやらせてください」
と勢い込んでお返事してしまったのです。
役どころが、何でもない、ごく普通の奥さんで、常日頃から私が一度はやってみたいなあと思っていた理想の役そのものだったからです。
いつの頃からか、私にくる役といえば、ひとくせもふたくせもあるエキセントリックな役ばかり。来るものは拒まず、どんな役でもなるべくお引き受けするのをモットーにしてまいりましたが、いつの日か、一度でいいから、さりげない、空気のような役をやってみたいなあとずっと考えていたのです。
一つの役を長くやるもんじゃないなあ、という思いが募っていたということもあります。イメージが一度固定してしまうと、それを拭い去るのは大変なことです。『スーパーマン』をやってらした役者さんが自殺されたことがあったでしょう。彼の心境がわかるような気がするんです。
さりげない役をサラリとこなす女優さんたちを見るにつけ、羨ましくてしかたなかったんですね。
結果は皆さんもよく御承知のとおりで、この映画は大きな話題を呼びました。
伊丹さんはきっちり演技指導をなさる方でしたが、その一方で、役者に演出を押しつけるのではなく、最初から自分の考える線にピタリとはまる俳優をもってくる方だったと思います。
このやり方は黒澤監督と非常に近いものがあるなあと感じたりいたしました。
上手だから売れる、下手だから売れないってことはない
幸運にも55年以上も、役者をやってきまして、一つだけ確信があるとしたら、それは上手だから売れる、下手だから売れないってことはない、ということだけです。いかにチャンスに恵まれたか。そしていかにその与えられたチャンスを活かしたか。
終戦の翌年、東京大学の学生課に勤務するOLだった私が、イプセン原作の『人形の家』を見て、新劇女優を志したとき、父は私にこう言ったものです。
「女優というのは美人がなるものだ。お前なんかなれるわけがない」
結局、その父は最後まで私の女優姿を見てはくれませんでしたが、もしあの時私が父の言葉に従っていたら、私の女優人生はなかったわけです。
私自身はチャンスを掴みそこなったことの方が多いので、あまり口はばったいことは言えないのですが、チャンスをたくさんいただいたことだけは間違いありません。
それはもういくら感謝しても感謝したりないぐらいです。