昭和43年の父の日の午後、満員電車の網棚に置かれた荷物が突然爆発――。横須賀線爆破事件は、1人の命を奪い、車内を惨状に変えた無差別テロだった。

 生後2カ月の娘を残して亡くなった父親。なぜ、このような犯行は起きたのか。高度経済成長のただ中で起きた未曽有の事件を、鉄人社の新刊『高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件』よりお届けする。(全2回の1回目/続きを読む

写真はイメージ ©getty

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幼子の父を亡き者にした「爆弾事件」

 1968年(昭和43年)6月16日。この日は父の日で日曜日ということもあって、全国的に家族連れの行楽客が多く、国鉄(現JR)横須賀線も朝から鎌倉観光の人々でごった返していた。多くの乗客を乗せ走行中の横須賀駅発東京駅行きの上り列車(10両編成)で事件が起きるのは、北鎌倉駅を過ぎ大船駅の200メートルほど手前(神奈川県鎌倉市小袋谷地内)に差しかかった15時28分ごろ。

 前から6両目、5号車の後部左ドア付近の網棚に置かれていた荷物が突然爆発したのだ。凄まじい爆破音とともに白い煙が上がり、車両天井の鉄板や周囲の座席、窓ガラスなどが破壊された結果、網棚の真下にいた東京都武蔵野市在住の会社員、広島勇さん(当時32歳)が脳挫傷および頭蓋内出血により死亡。

 広島さんは2ヶ月前に生まれたばかりの長女を逗子市内の病院に見に行った帰りで、他にも5号車に乗っていた66人のうち28人が鉄板やガラスなどを浴び重軽傷を負う。

 警察は荷物の中に時限爆弾を仕掛けた無差別殺傷目的の犯行とみて捜査を開始し、事件を警察庁広域重要指定事件に指定する。単一の事件で広域指定された唯一の事例だが、これには理由があった。

 事件前年の1967年6月18日(この日も、父の日)、兵庫県神戸市垂水区塩屋駅構内で、山陽電鉄の姫路行き普通電車の網棚に置かれた荷物が爆発し、女性2人が死亡、29人が重軽傷を負う大惨事が起き、事件が未解決だったことから横須賀線の列車爆破も同一犯ではないかと睨んだのだ。