大船署に捜査本部を設けた神奈川県警はさっそく犯人逮捕に動くが、防犯カメラもないこの時代、捜査は困難を極めた。140人の捜査員が10日間にわたり横浜-横須賀間と横須賀-久里浜間の電車に乗り込み、乗客に対して不審人物の目撃情報を聞き込んだものの成果は得られなかった。
一方、現場となった車両を中心に綿密な採証活動を実施、車両からは2千432個の指紋を検出し、事件当日の横須賀線各駅から押収した48万枚の切符との照合を進めると同時に、車内の残留物から爆破に使われたと思しき乾電池ホルダー、タイムスイッチ、無煙火薬、鉄製パイプ、さらにこれらを入れていた菓子箱、菓子箱を包んでいた新聞紙を押収する。
このうち火薬は狩猟用の散弾銃に使われるもので、火薬に乾電池を用いて起爆させる仕組みだったことも判明した。
とはいえ、テープレコーダーや火薬、乾電池などはいずれも大量生産品。犯人を特定するのは到底困難だった。
犯人特定に結びつく「執念の捜査」
それでも警察は、現場に残った数千の新聞紙の切れ端をつなぎ合わせるという気の遠くなるような作業を行い復元に成功。爆破装置を包んでいた新聞が「昭和43年4月17日 毎日新聞 東京版多摩」で、活字に輪転機固有の微妙な印刷ズレがあることを突き止める。また、印刷ズレは東京都八王子市、立川市、日野市方面でのみ配布された新聞に存在することも特定。
このことから犯人は前出地域に住む猟銃免許所持者、あるいはその者と近しい人物である可能性が高まった。そこで捜査員は周辺の住宅に足を運び、毎日新聞を購読していた約1万5千軒を片っ端から訪問。自宅に4月17日付の新聞が残っていた世帯は捜査対象から除外しつつ、丹念に聞き込みを続ける。
捜査は現場遺留品である起爆用の乾電池ホルダーにも向けられ、これは主に受験勉強用に販売されていたクラウン社製のテープレコーダーで、当時1千台以下しか出荷されていないことがわかった。
他にも、爆弾を入れていた菓子箱の復元にも成功し、名古屋城の鯱の形の最中を製造・販売している名古屋市内の「みすづ総本店」のものと判明する。とはいえ、鯱最中を入れた菓子箱は1日6万個以上も出荷されていた人気商品で、犯人に結びつけるにはあまりに遠い情報と思えた。が、実際はこの菓子箱が犯人特定につながっていく。
