北里柴三郎の学会発表
しかし大久保らの懸念は的中し、コレラは日本に上陸して猛威を振るいます。「日本の細菌学の父」として知られ、ペスト菌を発見、また破傷風の治療法を開発するなどした北里柴三郎は1887年に行った「日本におけるコレラ」というウィーンでの学会発表で、その時の流行を次のように報告しています。
〈1隻のイギリスの軍艦がこの不気味な客人をわれわれの元によこしてきた。その船は9月8日に厦門(アモイ)(清国)を出て長崎に到着した。航海の途上、1人の水夫(乗組員)がコレラになり、到着の寸前に死亡した。彼は長崎の外国人墓地に葬られた。(中略)しばらくしてこの病気は長崎を超えて九州全土に広がった。九州の一部は当時西南戦争に見舞われていたため、流行病にとってはよりいっそう好都合な地ということになった。そのためそれに参戦した多くの兵隊と警官たちがコレラに罹患し、流行は彼らによって神戸、大阪、京都その他の地へとさらに広がった。(中略)この時の流行では、日本全体で1万3710人が病気にかかり、7967人が亡くなった(58%)〉
ここで重要なのは、全国から集められて西南戦争に従軍した兵士と警官たちがコレラに罹患し、彼らが故郷に帰ったことで感染が全国に拡大したと指摘されている点です。
西南戦争は、不平士族が中心になって維新の立役者の西郷隆盛を担いだ武力反乱で、日本最後の内乱でした。政府軍には明治6年の「徴兵令」によって集められた平民出身の兵士が多かった。彼らの登場によって戦争を生業とする士族(武士)の時代は完全に終わりを告げ、日本は欧米列強の軍事制度に範をとり、近代的な軍隊を整備していくことになります。
その草創期の段階で、疫病が軍における最大の敵として立ちはだかり、なおかつ軍が疫病の拡散役となったことは、その後の行く末を考えるうえできわめて暗示的です。
※本記事の全文(約9500字)は、月刊文藝春秋のウェブメディア「文藝春秋PLUS」に掲載されています(保阪正康「疫病とファシズムの足音」)。全文では、以下の内容をお読みいただけます。
・スペイン風邪の大流行
・731部隊の人体実験
・西南戦争と赤十字
