一方、日本のSNSでも今回の事件の背景をめぐる議論が広がっている。東京新聞は「自衛隊の教育が背景にあるのではないか」といった見方が出ていることを紹介している。

「国会議員こそ中国に行き、直接主張すべきだ」と

 こうした議論と結びつけて再び注目されているのが、防衛大学校の等松春夫教授が2023年に発表した論考「危機に瀕する防衛大学校の教育」である。論考では、自衛官教官の一部に安直な陰謀論に染まる傾向が見られることや、外部の論客による政治的に偏った講演が行われている可能性にも触れていた。

 ただし東京新聞は、こうした指摘と今回の事件とを直接結びつけることはできないとし、SNS上で広がる議論が真偽不明の憶測の段階にある点にこそ注意を促している。大切な指摘だ。

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 一方で、防衛大学校の教育以前に、日本のSNS空間には中国への嫌悪感を強める投稿が少なくないことも事実だろう。そうした人々はしばしば日本の「国益」を強く訴える傾向にある。

習近平国家主席 Ⓒ時事通信社

 だがここで考えたいのは、何が本当の「国益」なのかという点である。関係を保つために中国とのわずかなパイプをたどろうとする政治家を「媚中」や「反日」などと批判し、委縮させ、動きを止めてしまうことこそ、むしろ国益に反する本末転倒ではないだろうか。外交とはそんな単純なものだろうか。

 昨年の産経新聞に興味深いインタビューがあった。前駐中国大使の垂秀夫氏のインタビューである。

 垂氏は、別に親中をやれ、尻尾を振れと言っているのではない、むしろ国会議員こそ中国に行き、直接主張すべきだと語っていた。遠く離れた日本で「中国はけしからん」と言っているだけでは、日本の立場は相手に伝わらないというのである。訪中=媚中という単純な図式そのものが、外交の選択肢の一つを失わせてしまっていないかという指摘である。

 アメリカと中国が会談をするというニュースを聞けば、「仲が悪くても話ができているうちは大丈夫か」と少しは安心するのが人情だ。同じことは日本と中国にも言えるのではないだろうか。

 外交とは好き嫌いではなく回路であると考えてみたい。その回路が互いに意地を張って細くなっているとしたら、それこそが静かに進む本当の「国益」の損失ではないだろうか。支持者やSNSの空気に引っ張られているうちは、「私益」にとらわれているだけかもしれない。

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