拘置支所長は、菅家さんが、否認に至った経緯について語り出した。

「前回の公判時にひとりの女性が傍聴に来ていたのですが、彼女が菅家の面会にやって来て『やっていないことは、やってないとちゃんと言わなければだめですよ』と伝えたのです。そこで本人は否認に転じたと思われます。その後、検事がやってきて再度本人への取り調べを行っています。現在、我々は宇都宮地検と連絡を密に取り合っていて菅家に対する厳重な動静視察を行っています」

 坂本の驚きは大きくなっていく。拘置所の設置目的は被告人の防御権の行使ではないのか? 収容するのは、刑罰ではなく、勾留(罪証隠滅と逃亡のおそれがある時の拘置)である。被疑者から被告人に変われば、その身柄は検察庁から裁判所に移ったことになる。それなのにこの支所長の報告は拘置所が、有罪と決めつけている検察に対する隷属そのものではないか。

ADVERTISEMENT

 菅家さんに無実を訴える事を勧めた女性というのは、同じく幼稚園バスの運転手であった西巻糸子さんのことであった。西巻さんは、それまで市民運動などには無縁な主婦であったが、「幼稚園のバスの運転手をする人が、幼児を殺すはずはない」との思いから、DNA鑑定の証拠能力の危うさを指摘した佐藤博史弁護士の論文を読み込み、菅家さんの無罪を信じていち早く支援してきた方である。支所長会議では、その真っ当な情念で動いた西巻さんの存在をあたかも敵視するような報告がなされていた。

 坂本は周囲の反応にも失望した。会議のメンバーは20人ほどいた。ところが、この報告をおかしいと思っていたのは坂本だけであった。他の職員は表情ひとつ変えない。つまりはこの通報を当然のように受け入れて、淡々と会議を進行していた。

 最終的に「動静視察を密にし、検察庁としっかり情報共有をするように」という指示が出された。被告人が自らの罪を否認したことを凶報として捉えたのである。

「おそらくは、足利事件の担当検事が宇都宮拘置所にやって来て…」

  被告人が自らの罪を否認したことを凶報として捉え、県内の支所長たちと行状監視をしていくことを確認し合っている。そこには、公正な裁きを望む姿勢はなく、行われたのは、検察を妄信して被疑者が犯人であることを前提とした策動であった。

「おそらくは、足利事件の担当検事が宇都宮拘置所にやって来て、『えらいことです。菅家が突然否認に転じました』と訴えたんでしょうね。それで支所長会議に持ってきた。余罪があって調べるのならともかく、法廷の外でこんなことをやってはいけませんよ。拘置所という組織が菅家さんの防御権を完全に侵食している。こんなことをしているから、冤罪は無くならないんですよ。冤罪が起こる原因と言うのは、司法だけではなく、拘置所や刑務所にもあるんです」

 袴田巌さんの事例を見ていた坂本からすれば、無理な自供をさせられた被告が、ここにもいたのか、という思いだった。

坂本敏夫

 さらに、足利市ではこの事件の前にも2件の幼女誘拐殺人事件が起きており、菅家さんは取調べの中で、この2つについても自分がやったと「自白」させられていた。(2件は、逮捕後に嫌疑不十分で不起訴処分とされている)

  自白を強要されていた菅家さんは、92年12月の第6回公判で初めて犯行を否認する。しかし、翌年1月の第7回公判では、一転して再び犯行を認めている。これは一審を担当した弁護士が、菅家さんの犯行を前提にしてしまっており、情状酌量を狙ったものとされるが、裁判所内のその空気もまた、坂本が目の当たりにした拘置所ぐるみで検察と連動して追い込んだ効果でもあった。

 しかし菅家さんは、情状酌量を勧めて来た弁護士に手紙を書いた。「私は松田真実ちゃんを殺していません。本当に殺していません」それまで弁護士の言うがままに、上申書も書いてきたが、ここに至って真実をしっかりと主張した。控訴審では、菅家さんを犯人と決めつけていた弁護士から、DNA鑑定の危うさを指摘していた佐藤博史弁護士へと代理人が変わった。