不合理な判決を前に菅家さんの弁護団は、控訴する。しかし、1996年5月に東京高等裁判所はこれを棄却した。
弁護団は諦めなかった。法医学の権威である日本大学医学部の押田茂實教授に菅家さんのDNA鑑定を正しくやってもらえないかと、動いたのである。押田教授は当初、今さらやってももう遅いのではないかと考えていたが、科警研の出した鑑定書を見せられてその杜撰さに驚く。科警研は塩基の配列を正確に測れる技術を持っていなかったことが、分かった。こんなもので人を裁いたのは許せないという思いから、奔走する。
あらたに鑑定をするには、菅家さんの髪の毛が必要であったが、拘置所がその受け渡しを認めるはずもなく、弁護団と押田教授は、本人に毛髪を手紙に入れて送るように依頼した。検閲を警戒して、髪の毛以外のものは、一切入れないように指示をすると、無事に弁護士事務所に届けられた。入手した髪の毛を押田教授が新型のマーカーで鑑定すると、123マーカーとは、異なる結果が出た。
有罪の根拠とされた最初の鑑定結果では、菅家さんも真犯人もDNA配列が18-30型とされていたが、押田教授によって出された菅家さんのそれは18-29型であった。この鑑定結果を押田教授は97年9月に意見書というかたちで提出し、弁護団は最高裁に送った。
しかし、2000年7月に最高裁は上告を棄却した。これで無期懲役が決定してしまった。上告棄却の決定文の中には、押田教授の意見書については一切触れられておらず、調査官がこの貴重な結果を最高裁に見せなかったと言われている。刑が確定した菅家さんは同年10月、千葉刑務所に送られた。
坂本は千葉に送られたと聞いて菅家さんの身を案じていた。
「冤罪の声も高まっていたから大事にしてくれたか? いえ、いじめられたんです。通常、刑務官は冤罪なんてありえないと思っています。幼女を暴行して殺害した人間として服役囚とともに酷い扱いをされるのは、目に見えていました」
事実、菅家さんは、最初に会った刑務官に「私は犯人ではありません」と伝えるも「お前のいう事など信じるか」と怒鳴られ、入れられた6人部屋の先輩から、振る舞いが悪いとして肋骨を折られていた。
DNA再鑑定の結果、菅家さんと犯人のDNAは合致しなかった
弁護団は、2002年12月に再審請求を行う。再審、すなわち裁判のやり直しを求めるためには、新しい証拠が必要であるが、この押田の鑑定報告書が使われた。やはり意見書は最高裁に届けられていなかったのである。
これに対して宇都宮地裁が、2008年2月に請求棄却する。棄却理由は、「鑑定された髪の毛が菅家さんのものかどうか分からない」というものであったが、そう主張するならば毛髪を再提出させるか、押田教授を証人としてヒアリングすれば、こと足りるものであったが、それをせずに5年もの長きに渡って回答を出さずに菅家さんの自由を奪っていた。
弁護団は即時抗告し、あらたに押田教授に再鑑定を依頼した。押田は精度が各段に進化した最新式のSTR法で検査し、まぎれも無く毛髪は菅家さんのものであるとの証明を施して再意見書として2008年11月に東京高裁に提出した。
ここに至り、高裁はようやくDNAを再鑑定することを決定した。2009年5月8日、検察側、弁護側、それぞれの法医学者によって鑑定された結果は、今さら見るまでもなかった。菅家さんと犯人のDNAは合致しなかった。
検察はこの結果を得て、菅家さんを釈放した。裁判所の判断を待つ前であり、前代未聞のことであった。2009年6月23日、東京高等裁判所は裁判のやり直し、再審開始を決定。2010年3月26日、再審無罪の判決が言い渡された。
坂本は怒りを隠さない。
「あの支所長会議はいったい何だったのか。菅家さんを犯人として決めつけ、否認を悪事のように取り上げて、組織として潰そうとしていた。裁判所も正しさを求めようとしなかった。正しいDNA鑑定法が確立していなかったのだから、高裁の段階で止められたはずです」

