見知らぬ子どもが、なぜこの家にいるのか――。大家が抱いた小さな違和感は、やがて取り返しのつかない結末へとつながっていく。新聞に踊る「誘拐」の見出し、主婦の通報、そして警察の張り込み。しかし、その最中に起きた“信じがたい失態”。数日後、放置された車の中で発見されたのは、米俵にくるめられていた子どもの遺体だった。
昭和35年に起きた「身代金誘拐事件」の発端を、鉄人社の新刊『高度経済成長期の日本で起きた37の怖い事件』よりお届けする。(全2回の1回目/続きを読む)
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なぜ少年は殺害されたのか
1960年代から1980年代に多発した身代金誘拐事件では、当たり前のように「報道協定」が敷かれた。被害者の安全を確保するため、新聞・テレビなどが事件解決まで報道を一切控えることを取り決めた警察との約束事である。協定導入のきっかけになった事件がある。
1960年(昭和35年)に東京で発生した雅樹ちゃん誘拐事件。犯人の男は事件の詳細を報じた新聞各紙を読んだことで精神的に追いつめられ、被害者を殺害してしまった。
1960年5月16日朝、東京都世田谷区在住のカバン製造会社「天地堂」社長の長男で、慶應義塾幼稚舎2年の尾関雅樹ちゃん(当時7歳)は登園のため、制服制帽姿にレインコートを着て、自宅から約200メートル離れたバス停「等々力二丁目」で、21歳の家政婦に見送られ目黒駅行きのバスに乗車した。
学校の方針で父母などの付き添いは禁止されており、雅樹ちゃんはいつも1人でバスに乗り目黒駅前で八重洲行きに乗り換え、渋谷区天現寺のバス停で降りて学校へ向かうのが日課だった。
ところが、通常なら午前8時45分には教室に入っている雅樹ちゃんの姿が、この日に限って見当たらない。何か事情ができたのだろうか。担任教師はしばらく待ってみたが、雅樹ちゃんは登園せず、家からの連絡もない。そこで、自宅に問い合わせたところ、母親はいつもどおりバスに乗ったという。
