そうなれば、例えば子連れのメスがオスと出会ってしまう確率が高くなり、オスの子殺しの犠牲になり、育つことのできる子グマが少なくなってしまうこともあるだろう。

 つまり、四国のクマに対し、短期的にできることは、例えばトキのような形で生息域外飼育をするか、四国の西側のかつてはクマが生息していた高知県や愛媛県のほうに個体を移動させ、新しい個体群を作るかしかない。ただ、クマによる人身被害がこれだけ問題になってしまった今、四国の別の地域にクマを移動させることはとても不可能だろう。ちなみに、四国に生息するツキノワグマと本州に生息するツキノワグマとでは、遺伝的な特徴が異なる。そのため、本州のツキノワグマを四国にもっていけば問題は解決、という話にはならない。

 実際、10年くらい前に四国の人にアンケートした結果、家からどれぐらい離れた場所ならクマが生息してもよいかという質問項目の多くの回答が50km以上であった。現在の四国の主要な生息地である剣山から徳島駅までの直線距離が約50kmである。現状では、すでに多くの人が安心して暮らすためのクマとの距離を保つことができていないが、四国の人にとって、それぐらいクマは馴染みのない存在であり、ただただネガティブな存在でしかないのであろう。

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九州のクマが絶滅した経緯

 九州のツキノワグマは、通説では1950年代に絶滅したと言われている(日本クマネットワーク2014)。最後に確認されたクマは1957年に宮崎県の見立・水無川付近で発見された子グマの死体だった。明治時代以降のクマの狩猟の記録は残っているが、その記録では狩猟で獲った数は合計で50頭ほどなので、明治時代の初めでも、かなり生息数は少なかったと思われる。

 九州のクマは、例えば熊本県から大分県、宮崎県にかけての九重連山、祖母・傾山山系など、高標高地域の一部の落葉広葉樹林にひっそりと生息してきたのだろう。猟銃が進化・普及する前までは、それでもなんとか個体数を維持していたが、狩猟によって獲られ、鉱山開発や林業などによって山林がなくなったり、人の手が入ったりして生息域が狭められ、次第に数を減らし、私たちが気付かぬ間に絶滅した。祖母・傾山山系には、クマを獲ったら山の神さまの祟りがあるという言い伝えが残っている。「イノシシ千頭、クマ一頭」と言われるほど、クマの数が少なかったようで、クマを1頭獲るたびに「熊塚」と呼ばれる塚を建てた。熊塚や祟りの伝承は、クマの数が減少し、貴重な動物となった背景の中で、捕獲を制限しようという心理が形や戒めとして現れたものなのかもしれない。

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