“最強ライバル”金髪のゴマキ(13)登場
安倍の前に立ちはだかった最強のライバルが3期の後藤真希。突如現れた、金髪で堂々とした13歳に、メンバーも視聴者もびっくりした。しかも、後藤加入第1弾のシングル「LOVEマシーン」(1999年)はメガヒット。
安倍が歌割をほぼ担当し、ほかのメンバーはコーラスに回った1枚前のシングル「ふるさと」が週間オリコンチャート5位。同日発売で1位に輝いたASAYAN同期の鈴木あみの「BE TOGETHER」と比較されていたこともあり、ゴマキこそ、「ふるさと」で低迷しかけたモー娘。を盛り上げた“起爆剤”というイメージがつくこととなった。
安倍なつみにとってゴマキが脅威だったことは、想像に難くない。ところが後藤は、当時仲は険悪だったと回想しながらも、安倍の態度について「何も分からず、なんで怒っているの? みたいな感じ」だったという。
さらに後藤は「LOVEマシーン」でデビューして2か月後、すぐに2期の市井紗耶香、保田圭とユニット「プッチモニ」を結成し「ちょこっとLOVE」をリリース。2001年には「愛のバカやろう」でソロデビューした。「愛のバカやろう」はかなり懐かしい感じのする歌謡曲テイストだったが、しっかりオリコン1位に輝いている。
グループの顔という“呪縛”
スタートダッシュでソロにユニットに羽ばたく後藤。安倍も期間限定シャッフルユニットの参加はあったものの、突拍子もない曲をなぜか任されがちだった。しかもモー娘。は増員を重ね、おのずと一人あたりの歌割もカメラ割も減っていく。石川梨華、吉澤ひとみなど強烈な個性を持ったメンバーがセンターを取ることも増えた。
安倍は存在がセンターとして扱われ、つんく♂から「マザーシップの顔」と信頼されたものの、この信頼は呪縛にも似ていた。
彼女はのちにこう語っている。
〈私が軸みたいなものだから、私がユニットやったりソロになったりするとグループ全体がおかしくなるっていう話はよく聞かされていて、でもみんなはユニットやったりソロになったりしてるわけですよ。それを横目で見ながら「私にはいつこういうチャンスが来るのだろう?」とずっと待ち望んでいたところは、どっかあって。〉(安倍なつみインタビュー「Billboard JAPAN」2008年12月10日)
「メンバーは友達ではなくライバル」と豪語し、グループ中でも孤立する時期があったという安倍。「一時期、精神のバランスを崩して、目覚まし時計を何個かけても起きられなくて」「みんなにごはん行こうって言えるまで本当に時間がかかった」とも回想している。
メンバー間の格差に“嫉妬と不安”も…
そんな彼女とともに、デビューから全盛期まで、モー娘。支えたのが、初期リーダーの中澤裕子。中澤がモー娘。での過酷な経験から、人生座右の銘を「弱肉強食」としたというのは心震えるエピソードである。
バラエティーでは安倍や後藤との格差に対する嫉妬と不満も、ユーモアを交えて素直に語っていた。安倍について「センターで周りからチヤホヤされてて“今だけだぞ”と思ってた」と吐露している。

