だが、「わたしの基盤となった曲達です。」というコメントとともに公開された「中澤裕子が選ぶハロプロサブスク超解禁集」には、脱退後の安倍のソロ曲「恋のテレフォンGOAL」が入っている。安倍の苦悩と忍耐を誰よりも近くで見て、応援していたのかもしれない。

「ゴマキ不在の不安」は…“黄金期”が終わったワケ

 2002年9月23日、17歳の誕生日に後藤真希が卒業。この頃はモー娘。から保田圭が卒業し、絶好調だったユニット、タンポポ・プッチモニ・ミニモニは大幅メンバーチェンジ。2003年には6期メンバーが加入。ソロだった藤本美貴も加入し、グループ自体がさくら組とおとめ組に分かれるという、ザワザワするような変革が続いた。

メンバーに抱きつかれて笑顔を見せるモーニング娘。時代の後藤真希(中央)

 安倍のソロデビュー曲「22歳の私」は、そのカオスの余韻のなか2003年8月にリリース。あまりにも残念なタイミングだった。ただ、モー娘。のセンターとしてはとことん気を吐いた。

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 後藤卒業後初のシングル「ここにいるぜぇ!」では、ゴマキ不在の不安を吹き飛ばすかのような堂々たるセンターオーラを発揮。「そうだよ、モー娘。にはなっちがいるんだよ!」とファンが心を熱くするような1曲となった。端から端までステージを走る安倍がメンバーのど真ん中に戻り、ポーズを決める最後のフォーメーションは素晴らしい。

 2004年1月25日、安倍なつみはモー娘。を卒業する。卒業シングルは「愛あらばIT'S ALL RIGHT」(作詞・作曲:つんく♂)。この頃のモー娘。は歴代最多の15人という大所帯。歌割も、短いフレーズで均等にあてられ、安倍のソロも1か所だけ。だが、

「そうさ 時代はそれぞれいっぱい がんばって来たよね」

 というその歌詞は、まさに彼女の活動そのものだった。

「黄金期」の終盤を振り返ると、ハロプロからはモー娘。以外にも多くのグループとユニットが誕生しており、飽和状態だった。加えて2002年7月に「大改革」が発表され、その実行と余震が続いていた時期だ。小惑星の接近で地球が滅亡の危機に陥る映画『アルマゲドン』になぞらえ「ハローマゲドン」と呼ばれるほど、混沌としていた。

 約6年の孤立した日々を超え、モー娘。の「ふるさと」として徹底した安倍なつみ。その彼女が抜けた1年後の2005年には、秋葉原に秋元康プロデュースのAKB48劇場が設立される。

 敗者復活大逆転の女の子たち、モーニング娘。が吹かせたエンタメの追い風は、「グループアイドル戦国時代」という向かい風へと変わりかけていた。

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