なんと天筒山城にも遺構があった
眺望を堪能したあとは下山するだけだ。空模様を気にしつつ、南へと降ってゆく途中、「手筒休憩広場」の分岐で、「天筒山城の東部・南部遺構」という小さな案内板が目に入った。こちらの城にも遺構があったのだ。
下山ルートとは別方向だが、行かない手はない。そう思い、中池見入口方面へと足を向けると、すぐに絵に描いたような堀切が現れた。
いい感じだ。これは期待できそう、と思ったのも束の間。
その先の広場には、「郭(2)」の標識が立っていたのだが……。
これは自然地形そのものではないのか。グルリと遊歩道を巡ってみたけれど、城の遺構とはどうしても感じられない。あるいは発掘調査で何か見つかっているのかもしれないが……。
そうこうしているうちに、空が急に暗くなる。するとすぐにポツポツと冷たい感触。さらに、徐々に雨足が強まってくる。
下山まで天気は保つと思い、傘は車に置いてきたまま。これは先を急がねばならない。
雨に濡れながら、あまり明瞭ではない遺構を、早足で探して回った。
ひと通り見終えて分岐まで引き返す頃にはどしゃ降り状態。それでも山の中は木々が茂っていて多少助かったのだが、天筒入口まで降りると、遮るものはない。駐車場まで約20分、全身ずぶ濡れになりながらの撤退となってしまった。
秀吉はどうやって撤退したのか?
「金ヶ崎の退き口」では、北の木ノ芽峠方面からは朝倉軍が迫り、南の敦賀平野は浅井軍が埋め尽くしていたと考えられる。
主君を逃すための時間を稼いだ後、最終的に自分たちも撤退しなければならない。完全に挟み撃ち状態の中、秀吉や光秀はどうやって撤退したのか。しかもこの地は完全にアウェイ。土地勘などほとんどなかったはず。
もしかしたら、雨や霧に紛れて決行したのかもしれない。天気の良いうちに天筒山城の眺望を活かし、ルートを綿密に計画した上で。
写真=今泉慎一



