「入団二年目のオープン戦で一応三割は打っていました(※オープン戦最終成績は打率・273)。開幕9番、スタメンは当然と思っていたんですが、3打数無安打だったのに次の試合はいきなりトップ。びっくりした。それで第2打席で左中間の二塁打を打ったけど、次の打席は三塁ゴロ。結局12打席立っただけで二軍行き。あれではどうしようも納得が出来なかったですよ。なぜ僕が二軍に落ちなければいけないんだ、と思いました。納得がいきません。二軍で好成績を出して、誰が見ても一軍に上げなければいけないという状況を作ろうと、必死で結果を出していましたからね」(『イチロー 素顔の青春』/吹上流一郎/ワニブックス)

河村打撃コーチと作り上げた、のちの代名詞「振り子打法」

 そして、二軍降格したイチローはその言葉通りに打ちまくり、ウエスタン・リーグで4月25日の広島戦から8月7日の阪神戦まで、リーグ新の30試合連続安打を記録してみせるのだ(前年の6月20日から2シーズンにわたり46試合連続安打の快挙だった)。たまに一軍に呼ばれて、土井監督から「体の芯が流れてしまっているから打てない」と酷評されようが、もはや聞く気はなかった。7月にはグリーンスタジアム神戸のロッカーで二軍行きを通告され、鈴木は人目もはばからず号泣したという。

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 それでも、若者は腐らなかった。ファーム暮らしの屈辱の日々で、二軍の河村打撃コーチと作り上げていくのが、のちに代名詞となる「振り子打法」である。

「(振り子打法は)ピッチャーが投げたボールを長くとらえるイメージ、あとはピッチャーに対してお尻を向ける目的がありました。股関節を入れて向かってくるボールにお尻から入っていくと力が伝わります。僕はパワーヒッターではないので、どうすればより力が伝わり、打球を遠くに飛ばせるかを考え、試していました」(『ベースボールマガジン』2025年4月号/1992─2000「イチローとオリックス・ブルーウェーブ」)