拘束から約7ヶ月後、解放は突然訪れた。目隠しと手錠をされ車で連行され、「野山に捨てられるんじゃないか」という恐怖のさなか、車が止まり、突如現れた男性が告げた。「私はアメリカの外交官です。あなた達は自由を手に入れます」。それは米国とベラルーシの交渉による、人質解放の一環だった。

「外務省に迷惑かけて血税を使った」という声も

 帰国後、照井さんは「のこのこ撮り鉄に出かけて、外務省に迷惑かけて血税を使った」など、世間からの厳しい声も目にした。この批判に対し、照井さんは「それはもう本当にすみませんでしたと言う他ないです。反論の余地はないですよね」と率直に語る。危険な地域への渡航を反省しつつも、自身の行動は承認欲求からではなく、「あくまで自分の興味の方が先にある」と述べた。

 

 そのうえで、この体験を著書『ベラルーシ獄中留学記』にまとめた理由について、照井さんは「稀有な出来事ではあると思うので、こういうことが実際に起きたんだよっていうのを知ってほしい」と語る。そして、拘留中支えとなった在ベラルーシ、在リトアニアの日本国大使館関係者に対し、「ご迷惑をおかけしたお詫びと、お礼を、改めて申し上げたいです」と深い感謝の言葉で締めくくった。

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 インタビュー本編では、獄中生活の詳細、家族との関係などについても語られている。

撮影=佐藤亘/文藝春秋

※2026年4月15日現在、外務省はベラルーシ全土に高い危険情報を発出しています(ウクライナとの国境周辺地域で危険レベル4〔退避勧告〕、それ以外のベラルーシ全土で危険レベル3〔渡航中止勧告〕)。不要不急の渡航の中止、滞在中の場合は早期出国が強く求められています。

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