2024年12月、「ヨーロッパ最後の独裁国」ともいわれる東欧ベラルーシで、一人の日本人が拘束された。当時24歳、旧ソ連の鉄道に魅せられ、撮影のために観光でベラルーシを訪れていた、照井希衣さんだ。
その後、米国が対ベラルーシへの制裁緩和の交換条件として要請した大規模な恩赦によって釈放されることとなるが――。拘束の瞬間、200日にわたる“獄中生活”、釈放されるまでの日々を綴った、照井さんの著書『ベラルーシ獄中留学記』(小学館)より、拘束された一部を抜粋して紹介する。(全2回の2回目/はじめから読む)
※2026年4月現在、外務省はベラルーシ全土に高い危険情報を発出しています(ウクライナとの国境周辺地域で危険レベル4〔退避勧告〕、それ以外のベラルーシ全土で危険レベル3〔渡航中止勧告〕)。不要不急の渡航の中止、滞在中の場合は早期出国が強く求められています。
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カリンコヴィチ駅を午前9時10分に出発する列車を待っていた
幹線道路に出ると、ウクライナ西部の街〈Житоmir(ジトーミル)〉の名が記された看板が出てきた。ウクライナ国境との距離の近さを実感する。
街頭が灯る薄暗い道には、私以外に誰もいなかった。通行人はおらず、車もほとんど通らなかったが、心細さからか、もし見つかったら通報されてしまうのでは、という危惧がよぎった。けれど、ほかに道はない。撮れ高に期待をかけ、不安を打ち消すようにして歩みを進めた。市街地を離れると、景色が一変した。道路は、背の高い木々が茂る森を突っ切るように真っ直ぐ続く。家屋は見当たらない。
地図で確認した地点には1時間ほどで到着した。近くには小さな停留所がある。無人駅だろうか。私は、カリンコヴィチ駅を午前9時10分に出発する列車を待った。午前9時15分。走行音とレールのきしみがわずかに響いた。
すかさずカメラを構えて…
朝靄が漂う中近づいてくる列車。すかさずカメラを構える。列車はゆっくりと減速し、停留所で止まった。乗客1人を降ろし、再び発車する。
降りた客は私のもとに近づいてきた。何か言われるだろうか。目を逸らし、列車に意識を集中させる。結局、乗客は一言も発さずに通り過ぎていった。
念のために少し時間を置いてから後ろを振り向くと、すでにその姿は消えていた。私はいつものように、撮影した写真をバックアップするため、マイクロSDカードをカメラから取り出し、サブ端末のAndroidに差し替え、予備のカードをカメラに差して次の列車に備えた。
