2024年12月、鉄道撮影に訪れたベラルーシで拘束された照井希衣さん(25)。ソ連邦構成国の中で、ベラルーシは未だに秘密警察KGB(国家保安委員会)の組織を維持しており、照井さんの事件はKGBの管轄となり拘置所生活を送る。7ヶ月に渡る拘留は突如終わりを告げ、照井さんは解放される。そして、勾留中の日々を綴った『ベラルーシ獄中留学記』(小学館)の出版と至るが……。
解放された時の心境、世間の反応へ思うこと、帰国後の生活や今伝えたいことについて、照井さんに聞いた。(全3回の3回目/はじめから読む)
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――拘束からおよそ7ヶ月経った2025年6月21日に解放されていますね。その時のことや、お気持ちについてお聞かせ頂けますか?
照井希衣さん(以下、照井) 解放の前日に突然「荷物をまとめろ」って言われたんです。ただ、こっちはその前日に在ベラルーシ日本国大使館とコンタクトをとっていて、「まだ新しい情報が何もないんです」って言われていたので、裁判かなにかがあるんじゃないかと思いました。
拘置所のあるゴメリからミンスクのKGBの施設に連れて行かれて、 床全体が体操マットのような材質の、KGB管理の独房みたいなところで1泊させられて、どうなるのかと思ってました。
目隠しと手錠をして車に乗せられ「捨てられるんじゃないか」
――むしろ、状況が悪化したんじゃないかと思いますよね。
照井 そうですね。何が起こるんだろうって。すると、携帯を返してくれると思ったら捨てられて、ちょっと大きな乗り合いバスみたいな車に全部の荷物を抱えて乗せられました。隣に目出し帽を被ったKGBみたいな人がいて、自分は目隠しと手錠をされるんです。1人、銃を持って通路で立っていたようです。
照井 最初は空港に連れて行かれるのかと思ったら、空港より遠い場所みたいで、そのうちうっすらとリトアニアっぽい標識が一瞬見えたんですよ。それから車が止まって、ノアくらいのちょっと大きめの車に乗り換えられたんですが、3シートに4人詰めるとか、ぎゅうぎゅうに座らされました。
目隠しを取れと指示されたんですが、下を向いていろと。そうするうちに、急にガタガタする道に変わったんです。さっきまでは舗装道だったのに、こんな道を走っているなんて、本当に野山に捨てられるんじゃないかと思いましたし、隣にいたおばあさんの囚人は泣き出していました。
