――継母はどのような反応をしたのですか?
小田切 そこから食事の時も寝る時も、家族と引き離すような、隔離するような育て方をされるようになって。生活がガラッと変わったんです。おそらく「これはまずい」と思ったのと、彼女なりに私のことを育てている自負があったから、私への恨みが強くなったのかもしれません。
――大学ノートを先生に渡した時、小田切さんは子どもながらに先生にどうしてほしかったのでしょう。
小田切 ただただ助けて欲しかった。「今のこの生活がどうなってほしい」じゃなくて、今の生活じゃない生活になりたかったんです。でも、その最良の生活はわからない。
本当の母親に引き取りに来てほしかったのか、継母と父親が再婚する前の、元の家族に戻りたかったのか。ただ家でのいじめや、いろいろな苦しみから逃れたいとしか思っていなかったですね。
私のセクシュアリティのことで、当時、学校でもいじめを受けていたんです。だから性格も、すごく内向的な子どもだったと思います。
「継母の背中を刺そうと何度も思った」それでも一線を超えなかったワケ
――家でも学校でもいじめを受けていたのであれば、居場所がなかったのではないですか。
小田切 逃げ場がなかったですね。学校の先生も信用できなくなってしまって。ただ幼い頃の私を知る人が言うには、私はすごく社交的で、お友達を引っ張っていくようなリーダーシップもあったそうなんですよ。
でも、そういうポジティブな記憶が自分には一切残っていない。だからもしかしたら、どこかで自分に「不幸」というレッテルを貼るようになったんじゃないかって。
――それはどうしてでしょうか。
小田切 自分を守るためだと思います。不幸だと思い込んで不幸でいた方が、楽だったのかもしれませんね。「僕は不幸。不幸だから、不幸が来たって普通だよ」というふうに、自分を設定していたんでしょうね。
――継母からは、身体的な暴力も受けていたのですか。
小田切 もちろん。あまりにも辛くて小学生の時に、果物包丁を握ったことが何度もありました。
――継母を刺そうと考えていた?
小田切 背中を刺そうと思ったことが何度も。でも、一線は超えなかったんですよね。何が自分を止めたのかはわからないんですけれど、まだ救いがどこかにあったのかもしれないですね。
学校に友達がいたことだったのか、いじめを受けていてもまだ学校に通えていたことだったのか。お人形遊びや手芸が大好きで、編み物大会で3年連続1位になったりして。そういう楽しみもあったから、継母を殺さなくても生きられると、どこかで思っていたのかもしれません。
写真=三宅史郎/文藝春秋
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