――他にはどんな遊びをしていたのですか。

濱田 マンガを読むのも好きで、コロコロコミックを買ってました。最後の方にちょっと載ってた「ボンバーマン」の四コマ漫画が特に好きで。でもそういうのもだんだん見えなくなっていって、高校ぐらいでテレビ画面も厳しくなりました。

――ゲームボーイの画面、紙のマンガ、テレビ画面。だんだんと見えなくなっていく。

ADVERTISEMENT

濱田 そうですね。でも、意外とショックだったのはそれくらいかな。あとはもうずっと繰り返してることなんで、いつの間にか「しょうがない」って思うようになってました。

 

――学校はどうされてたんですか。

濱田 小学校は通常学級で、集団登校で近所の子ども10人ぐらいで一緒に登校してました。中学校も家の近くだったんで1人で全然通えてました。まだ右目も少し見えてたから。

――その頃はまだ白杖も使っていなかった?

濱田 使ってなかったですね。高校からは盲学校に入って、白杖も使い出しました。学校のすぐ隣に寮があって、学校まで数十メートル点字ブロックが続いてたんで、通学で苦労することは特になかったです。

――困ったことなどはなかったのですか。

濱田 それが特にないんですよね。高校生の時は盲学校の寮で暮らしてたし、もともとアウトドアな性格じゃなくて家で1人で遊んでるのが好きだったので。目が見えなくなっていっても、生活がすごく変わったっていう感じはそこまでなかったんです。

――学校生活はどうでしたか。

濱田 中学生で不登校になったんですけど、それは視力とか関係なく、とにかく学校っていう空間が嫌になっちゃっただけでした。先生とか友達ともそこそこうまくやってたんですけど、なんとなく行きたくなくなって。

――学校という枠に馴染まなかった。その間は家で何をしていたのですか。

濱田 一日中レゴを作ったりしてましたね。「SASUKE」が好きだったのでセットをファーストステージからファイナルステージまでひたすら再現して。サードステージのクリフハンガーとかは形が細かくてよく見えなかったんで、なんとなくの雰囲気でしたけど。

学校で友達を笑わせたことも、家族に面白い話をしたこともない

――お笑いに惹かれたのはいつ頃なんですか。

濱田 最初のきっかけは、小6の時に大阪でやってた西川きよしさんMCの漫才番組です。アニメを見たくてテレビ大阪をつけてたらそのCMが流れて、なんとなく「見てみよう」って。いざ番組を観たら、ビッキーズさんとハリガネロックさんがすごくて「漫才ってこんなに面白いんや」となりました。

――漫才という「しゃべる芸」にそこで出会ったんですね。

濱田 で、ちょうど1カ月後に第1回のM-1グランプリの決勝があったんですよ。ハリガネロックさんが出てたから「絶対この人たち優勝やん」と思ってたら、中川家さんが倒して優勝した。「まだまだ面白い人たくさんいるんや」って。

――お笑いにハマってからは、どんな番組を。

濱田 「人志松本のすべらない話」とか「内村プロデュース」はDVDを買うくらい観てましたね。いろんなゲストが出てくる「ごきげんよう」も好きでした。ずっと浴びるようにお笑いを観てました。

――学校では友達を笑わせるようなタイプだったんですか。

濱田 全然でした。物静かな方なんで。

――家族に面白い話をすることは?

濱田 それも全くなかったですねえ。