村山とふたりでゲーム機を買いに行った
1986年11月、彼は棋士になった。奨励会をわずか2年11か月で駆け抜けての四段昇段。奨励会入会が1年早い、佐藤康光九段や森内俊之九段、郷田真隆九段よりも先に棋士になるとはと、またしても驚かされる。
私が奨励会でくすぶっている間も、彼は順調に順位戦で昇級を重ねた。1993年には、王将戦で挑戦者として谷川浩司王将と七番勝負を戦った。
彼が関東に移籍してきて控室に出入りするようになったころ、ようやく話をするようになった。話してみると、盤上で見せる勝負への凄まじい執念とはまるで違い、盤外ではとても優しく、人懐っこかった。
あるとき村山に「ゲーム機を買いたいのですが」と相談され、新宿の家電量販店に向かった。道すがら、推理小説の話題になった。私が森村誠一やディック・フランシスが好きだと言うと、「北村薫の『空飛ぶ馬』は良いよ」と一読を勧められた。
「なぜ?」と聞くと、「人が死なない推理小説だから」と答えた。
トイレから「助けてください!」と…
1995年6月16日、私は全日本プロ将棋トーナメント(朝日杯将棋オープン戦の前身)の1回戦の対局だった。同じ日、特別対局室では村山が米長邦雄永世棋聖とのA級順位戦を戦っていた。
私は年齢制限26歳ギリギリで棋士になったばかりだったが、村山はもうA級だ。対局のプラカードを見て、随分差をつけられたなと思う。気持ちを切り替えて対局に集中し、棋士になって4局目を白星で終えた。
感想戦を終えた後、控室に寄ってモニターでA級の対局を見ると、村山の振り飛車に対し、米長が5七銀左戦法で対抗している。私にとっては大好物の戦型で、そのまま残って観戦することにした。当時はインターネット中継なんてないから、リアルタイムで棋譜を見たければ、現地にいるしかないのだ。
夜半になりトイレに行くと、個室から「助けてください!」という声がする。どうしましたかと問うと、中で村山が「足が動かないんです」と言っている。
私のほうが動揺してしまい役に立たず、呼んできた腕力のある奨励会員が、村山の肩を担いで対局室に連れて行った。
将棋は、米長に一刀両断された。




