そろそろじっくり調べものをして取り組む態勢へ
――自分の才能を認めるのは自分しかいないという、気づきを与えてくれるような小説だったと思います。この『私のなかの彼女』には主人公の祖母の存在がありますが、『笹の舟で海をわたる』も、昭和の時代を生きた対照的な二人の女性が登場します。今の時代に至るまで続く女の人の生きづらさとか、日本社会が植えつけてきた男女観なんかを考えさせられるなと思って。『笹の舟で海をわたる』を書く前にスランプかもしれないと思ったのはどうしてですか。
角田 本当に書きたいものがない、まだスランプだと思っているうちに『笹の舟で海をわたる』の連載を始めてしまったんです。たまたま昔知り合いに「老いた姉妹の話を書いてほしい」と言われたことを思い出して、なんとか書いて連載をやっていたんですけれど、そんなことは今までなかったんです。連載前にはきちんと準備して始めていたので、何も書きたいことが思い当たらずに人に言われた案で書いているという状況がスランプだと思っていたんですけれど、のちのちよく考えてみたら、スランプではなくて、自分が今までとは違う、もうちょっと大きな物語を書きたいんだなって気づきました。そのために準備の期間を必要としていたんだなって。他の連載をしながらちょこちょこと調べものをして準備するのではなく、一度ほぼ仕事をいれない状態にして調べなきゃいけない何かが必要なくらい大きなものを書きたいんだということが分かったんです。
――そうだったんですか。その前の『ツリーハウス』で時代の流れを書いたことが『笹の舟で海をわたる』に繋がっていると思っていたんですが。
角田 そうですね、『ツリーハウス』を書く前に、大きい話が書きたいという気持ちはすでにあったと思います。じっくり調べものをして、それをがっつり入れる大きなものを書きたいというのはありました。たぶん『ツリーハウス』で満足のいくような準備時間が取れなかったという思いがあって、それで『笹の舟で海をわたる』の前の「スランプかも」という気持ちにつながっている気がします。どこかすごく付け焼き刃で乗り切ったような罪悪感が残っているんですよね。
――え、『ツリーハウス』が、ですか。すごく読み応えがあったのに。そして今、裁判員制度の『坂の途中の家』を出されて、今後興味の方向はどこに向かっているのかなという。1年ほど前に別のお仕事でお会いした時、ジュンパ・ラヒリの『低地』を読んで、自分もこういう小説を書きたい、とおっしゃっていましたよね。あらすじがうまく説明できないものが書きたい、とも。
角田 あれはね、時間です。お兄ちゃんと弟の子供の時から話が始まって、弟が死んで、お兄ちゃんが弟のお嫁さんを引き受けて、子供が生まれて、その子供が親を憎んでいるといった、壮大な時間の流れがある。たぶん、その時間のことを言っていたんじゃないかと思います。自分がすごく面白いと思っているものって、あらすじを言えないものが多いのかなとも思っていたので、そういう言い方をしたんだと思います。今でもそういうものが書きたいと思っていますね。
――今執筆中のものといいますと。
角田 「日本文学全集」の『源氏物語』の訳をやっているんです。全巻刊行までにあと2年です。他に連載やエッセイがいくつかと、書く約束をしている小説がひとつあるんですけれど、それ以外はもう全部『源氏物語』です。全3巻の予定です。大変です。
でも、思いのほか面白いんです。話の流れが分かるというのもあるし、因果応報みたいな伏線がわりとかっちり作ってあるんですよね。俯瞰した時に「あ、こうなっているんだ」という面白さがあります。それと、書いた人間が楽しくなって図に乗っている感じが分かる時があるんです(笑)。人の容姿の悪口を書いたりする時に、冴えわたるんですよ、腕が。もうやめなよっていうくらい悪口を続けるんです。それが面白いですね(笑)。
ですので、今後の予定というと、3月に『拳の先』という、『空の拳』の続篇が出て、エッセイが出て、それから2018年に『源氏物語』の最終巻が出ます。