江戸の風情と職人の世界
――本作の読みどころの一つに、人形を作る職人の世界の描写や、神田のお祭りなど、生き生きと描かれる江戸の風情があります。こうした世界を描く上での楽しさや難しさはありましたか。
由原:取材は、埼玉県岩槻の人形博物館へ行った程度ですね。ただ、物語の舞台である元禄時代の古い人形の形というのは、分かりづらい部分がありました。もう少し後の時代になると市松人形のような今に残るリアルな人形が出てくるのですが、元禄期で残っている人形はあまりなくて。ある程度、想像力を働かせた部分もあります。
人形の頭を作る「型抜き」の技法は、桐粉の粘土を型に入れて頭の形を作る技法ですが、岩槻では元禄年間に京都の仏師が伝えたとされています。おりせの時代より少し後になってしまうかもしれません。
ただ、そうした人形の作り方を通じて、この時代の大量消費型の江戸を描きたかったんです。一つ一つ手で作っていては間に合わない。工程を分担しながらたくさん作る、そういう時代への転換期でもあったのではないか、と。そんな雰囲気をおりせの店の中で描いてみたいと思いました。
――江戸の活気を象徴するお祭りのシーンにも、こだわりが詰まっています。
由原:お祭りについては、江戸っぽい感じがするので出したかったんです。人形町付近の祭りである山王祭を登場させました。ただ、神輿の祭りのほうがより江戸っぽいのではないかという思いもあり、欲張って両方描いています。昔、川越に住んでいたことがあって、川越の山車の祭りに何度か行ったことがあるので、その雰囲気は少し分かるんです。神輿の祭りも見たことがありますが、やはり雰囲気が違いますね。
――作中で描かれる山王祭の場面は、大泥棒・熊坂長範が登場する章「たそかれ」で非常に生き生きと描かれており、読者を江戸の喧騒へと連れていきます。そしてこの祭りをきっかけに、おりせと父の弟子・斎助の心の距離が少しずつ近づいていく様子も読みどころの一つです。
由原さんが描く「不思議な世界」
――由原さんのデビュー作『首ざむらい』は、5月8日に文春文庫から『首ざむらい 江戸妖かし綺譚』として発売されました。この作品は、若侍が浮かぶ首だけを供に旅をするという、やはり不思議な設定の物語です。こうしたファンタジーの要素がある小説を好んで描くのはなぜでしょうか。
由原:実は、読むのは硬い歴史小説のほうが好きなんです。司馬遼太郎さんや吉川英治さん、井上靖さんなどを読んでいました。こんな小説が書けたらいいなと思っていたのですが、いざ自分で歴史小説を書こうとすると、どうも筆が乗らない。何か“これじゃない感”があるんです。
私の場合は、小説を読んだときに楽しんでもらいたいな、という気持ちが強いんです。それに、江戸時代のことは誰も実際に見ていないわけですから、書けばどうしてもファンタジーになる。だったら、いっそ思いっきりファンタジーにしたほうが潔いかな、と。
それに資料の中にも「庭石が動いた」とか「狐が憑いた」とあって、昔の人はそういうことを本当に信じていたんですよね。
