50代で掴んだ作家への道
――由原さんは50代前半から作家を志し、現在も福井県で蕎麦屋さんを営みながら執筆を続ける兼業作家です。改めて、作家を目指した経緯を教えていただけますか。
由原:作家になりたいという気持ちは、20歳ぐらいの頃からありました。歴史が好きだったので歴史小説を書きたいと思いましたが、当時は司馬遼太郎さんなどがご健在で、「こんなすごいものは書けない」と。
小説を書くには細かい部分の知識が必要ですが、当時はそれを調べるのが本当に大変でした。身近な図書館に行っても関連書籍がなかったりして、資料が集まらないんです。
インターネットがだいぶ進んで、資料集めが非常に楽になりました。国会図書館のデジタルコレクションなども見られるようになって、これなら私でも書けるかもしれない、と思ったのが50代の頃でした。スマホやタブレットが身近になったのがそのくらいだったんです。インターネットがなければ、資料集めは無理でしたね。
――しかし、蕎麦屋を営みながらの執筆活動は、時間の確保にご苦労されるのではありませんか。
由原:お店には朝の10時から夜の11時過ぎまでいます。休みは基本的に週に1日だけ。仕事の合間の休憩時間や、お客さんが少ない夜に席の一つを使って書いているのですが、なかなか集中できないという申し訳なさがあります。もっと集中すれば、もっといいものが書けるんじゃないか、という心苦しさは常にありますね。
おりせの未来
――物語のラストで、おりせはある大きな決断を下します。その結末は、執筆当初から決まっていたのでしょうか。
由原:ラストは最後まで迷っていました。物語を考えるとき、主人公の人生を物語が終わった後まで、だーっと考えてしまうんです。どの時点で切ると一番収まりがいいのかな、と。物事を成し遂げて完成させてしまうよりも、その途中であがいているときが一番充実している。そのへんで終わるのが読み応えがあるかなと思いました。
自分自身の中にあった気付かずにいた部分に気付き、一つ大人になる。漠然としていた希望が具体的な形に変わり、それを持って再び歩み出そうとする。そんな娘の後ろ姿を見送る形で、筆を置きました。
――では、物語のその先、おりせはどのような人生を歩むのでしょうか。少しだけ、由原さんの頭の中を教えてください。
由原:やっぱり結婚していてほしいですね。そして娘が1人いて。その娘の名前も考えてあって、「おとせ」といいます。そのおとせが、この家の女の血筋にある「人形の声を聞く」という能力を引き継ぐかどうか……。
清太郎のほうにも子どもができて…、なんてことも考えたり。こういう想像はどんどん広がって、切れなくなってしまうんですが。
