志は高い。ただし開店費用は、父・鄭永寧が出した。
ともあれ、ドラマでは鹿鳴館でメイドから始まり、大山捨松の知遇を受ける流れで進んでいる。これは、大部分というより、ほぼすべてが創作と言っていい。
前述の亀山の著書によれば、この時期の和の消息はこう記されている。
東京へ出てからの和の消息は詳細にはわからないが、洋装姿の写真が残されており、鹿鳴館時代の当時、和もまた社交界にも姿をみせることがあったのだろう。
そして、現在収集することのできる和の書いた文章や、取材記事などを見ても鹿鳴館に通ったとか、鹿鳴館での婦人たちのバザーで捨松の知遇を得たなどという記述は一切見当たらない。そりゃ、立ち話くらいはしたかもしれないが、和と捨松はその人生においてまったくの無関係。ほぼ、いや……完全に赤の他人である。
先行研究をたどると“フィクション”
ところが、ドラマの原案である田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中央公論新社、2023年)では、二人の絡みが描かれている。田中は歴史社会学者であり、この本には「史実をもとにしたフィクションです」と、きちんと書いてある。良心的である。
ただ、この鹿鳴館のバザーからの逸話は、田中のオリジナルかというと、そうでもない。尾辻紀子『近代看護への道:大関和の生涯』(新人物往来社、1996年)にすでに登場するエピソードで、田中はこれを丁寧に援用している。先行研究を踏まえた、誠実な仕事ぶりといえよう。
つまり構造としては、尾辻が書いたフィクションを、田中がフィクションと明記しながら引き継ぎ、NHKがドラマにした、ということである。フィクションのバトンリレーとでも言おうか。……パクリではない。走者全員、善意であると筆者は信じている。
フィクションの人物に実在人物を絡ませる作劇手法は、関川夏央・谷口ジローの劇画『「坊っちゃん」の時代』(双葉社、1987年)などでも用いられており、成功すれば傑作になる。ただし失敗すると、大恥である。このドラマが、どちらに転ぶか。「江〜姫たちの戦国〜」の時のように期待してやまない。