全国に344店舗を展開する「串カツ田中」。その創業社長の貫啓二氏(55)が、創業前に経験した逆境を、ライターの松浦達也氏に語った。売上が伸びていたにも関わらず、ついには倒産寸前に追い詰められ……(文中敬称略)。
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1998年に開店した最初の店は大阪・アメリカ村のバーだった。兄に連帯保証人を引き受けてもらい、信用金庫から700万円を借りた。200万円の貯金と10年ほどの会社員生活で得た100万円の退職金を握りしめての船出だった。
田中との出会い
「惨敗でした。家賃は月30万円なのに平日の売上は1日1万5000円。週末だけはサークル仲間が来てくれるので、なんとか月商100万円近くにはなりますが、自転車操業で自分の給料も出ないような状態。そんな状況のとき、友人が1人の女性を連れてきたんです。それが大阪・西成出身の田中洋江でした。『串カツ田中』の店名の由来の田中です。元々飲食業が好きだった田中は、昼間は事務職として働きながら、バーのメニューを考えたり、スタッフとして料理を作ってくれたりするようになったんです。西成の出身ということもあってか、時々串カツも差し入れてくれました」
昼は弁護士事務所で働いていた田中は、貫にビジネスをインストールしていった。目標管理のためのノート作りを薦め、客入りのいい飲食店の視察に連れ出した。そうして少しずつ店の売上を伸ばしたある日、2人は「2年先にデザイナーズレストランをオープンさせよう」という目標を立てた。
「とにかく給料を抑えてでも、利益を出そう。利益を出して税金を納めれば、国民生活金融公庫(当時)からお金を借りられる。そうしてかっこいい飲食店を作ろうという乱暴な構想でした。1年後に改めて事業計画書を作り始めたら、田中から『いま有名な建築デザイナーが隣で飲んでるから、店に連れていくわ』って連絡が来たんです。話はトントン拍子で進み、その日のうちにそのデザイナーさんと『やりましょう』と握手を交わしました。それで2年後の2001年には大阪の堀江にデザイナーズレストラン『ターン・ザ・テーブル』を開店したんです。
