「すみません、この町で暮らす人のことを記録しているのですが……」
すると、中年の男性が口を開く。
「この人は生き証人だよ」
年老いた女性が語り始める。
「1988年に来たんです。幼い子どもをひとり抱えて。全財産を使い果たして、希望もなくて……。言葉では言い尽くせないほど、大変な思いをしました」
そう言って、はぁー、と大きな溜息をついた。それが、80歳のアン・イスとの出会いだった。
元夫に「出て行け」と家を追い出され…幼い息子とこの地に流れ着いた
ボロボロのベニヤ板の奥にあるこの小屋は、アン・イスが自ら建てた家だ。隣にいる中年の男性は、近所に住む30年来の友人で、アン・イスのもとにマッコリを1本だけ買って訪ねるのが日課なのだという。この日はマッコリが売っておらず、缶ビールを2本買ってきた。
ふたりが座る納屋の扉は開けっ放しで、空が見える。アン・イスはいつも、一日の大半を、ここに座って過ごすのだという。誰も訪ねてこなかったとしても。
「いつもここから空を見て、ただぼんやりと……。自分の境遇を嘆いています。私が愚かだったのか、運がなかったのかって」
ここに住み始めたのは37年前。かつて、全財産を使い果たした元夫に「出て行け」と家を追い出され、行き場を失い、幼い息子を抱えてこの地に流れ着いた。
「最初は夢にもここに住もうなんて思いませんでした。でも雨が降って、行くところがなくて。どうにかお金を工面して、小屋を建てるのに必要な木材とか市場でいろいろなものを買い揃えてきました。テント張りでもいいから建てて住もうと思ったんです。市場で白菜を積んだトラックから、白菜の葉っぱがたくさん落ちるんですけど、それを拾って茹でて売ったりしました。仕事ならなんでもやりました」
アン・イスは自らの壮絶な人生を語り始めた。そして、私たちは様々な住民に話を聞くことができた。タルトンネに暮らす住民のほとんどが高齢者だった。朝鮮戦争以降、韓国が急激な経済成長を遂げていく時代を生きてきた人々だった。
町を出て行けない200世帯の住民たち
開発公社は、タルトンネの住民に、ソウル市内の賃貸住宅に移住するよう求めていた。金銭的な事情を考慮し、通常の6割引きの家賃で提供するとしているが、収入のないアン・イスは、割引価格の家賃も払うことができない。
「引っ越せと言われても、どうやって生活すればいいのかわかりません。命を絶つわけにいかないし。身体も良くないから……。お金のある人はいいですが、私のように貧しい人間は、ここで暮らすしかありません」
開発公社が立ち退き完了目標として掲げていた2025年末。7割の住民が町を去っていた。しかし、アン・イスをはじめとする残りの約200世帯は、目標日である12月31日になってもタルトンネに残り続けていた。
町を出て行けない住民を前に、再開発は強行されるのか。それとも、何か別の方策が打たれるのか。先が見通せないまま、2025年は終わった。
そして年が明け、タルトンネで起きたのは、誰ひとり思いもしなかった、恐るべき事態だった。



