戦時下に開通したローカル線
遊歩道はすぐにマリンロードの高架を潜る。その先には、車輪とレールが置かれたオブジェがあった。脇には「清水港線の歴史」と書かれた説明書き。それによれば、清水港線は1944年7月に三保駅まで開通したとある。それまでは東海道本線の支線扱いだったが、このときに清水港線と名付けられたという。
ちょうどご時世は太平洋戦争の真っ只中。戦局いよいよ悪化して、といった状況の中で、清水港線は建設された。
終点の三保駅の先には日本軽金属の工場がある。軍需工場への輸送路線として、まさに最優先で建設が急がれたのだろう。
そんな時代の息吹を感じつつ、オブジェの先に進むと海沿いに開けた公園スペースに出る。陸側にはエスパルスドリームプラザやちびまる子ちゃんランド。映画館も入っているようで、清水の人々の憩いの場といったところだろうか。
ナゾの巨大クレーンが…
この憩いの場の岸壁に面して、鉄骨でくみ上げられた巨大なオブジェのような、遺構のようなものがある。説明書きを見ると、「テルファークレーン」といい、かつて岸壁に着いた船から木材を貨車に移すときに使われたという。
設置されたのは1928年で、当時は名古屋・神戸にしかない最新の設備だった。このあたりからも、清水港がいかに重要な港湾だったのかがうかがえる。
テルファークレーンは1971年に使用を停止したがそのまま残され、公園として整備される際にも補修工事を経て保存されたのだとか。清水港の歴史を物語るシンボルといったところだろうか。
そのすぐ先には、清水埠頭という駅があった。が、浪漫館という立派なビルが建っていて、駅の痕跡は残っていない。
ここから遊歩道は消え、廃線跡は倉庫街の中に入ってゆく。





