工場地帯を抜けて三保半島へ

 浄化センターを出ても、南側に広がる工場・倉庫群の中を通ってゆく。一応工場の脇に路地のようなものがあるから、ここが廃線跡なのか。清水港線はいまとはまったく違う形だったのだろうが、工場や倉庫が並ぶ町という本質は変わっていない。

 

 工場・倉庫の間を南に抜け、日東富士製粉の工場の先からはよく整備された遊歩道、自転車専用道が見えてくる。

 

 日本全国津々浦々、廃線跡はとりあえずサイクリングロードにしておこうというルールがあるのだろうか。そう思ってしまうほど、廃線跡とサイクリングロードは親和性が高い。

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 ここから先は、国道150号に沿うように港湾沿いを走って三保半島を目指す。

 

 そもそもが戦時中に軍事輸送、軍需工場への輸送を目的として建設された清水港線。だから、開業時から徹底的なまでに貨物輸送が優先されていた。首都圏にも、貨物メインで建設されたもののいまでは通勤路線と化している武蔵野線のような路線もある。

かつては日本一の黒字路線だった

 ただ、清水港線の貨物優先は生半可ではなかった。なにしろ、旅客輸送は貨物列車に客車を繋ぐ形の、いわゆる“混合列車”。貨物のついでにお客も運んであげますよ、といったところだ。

 

 だから、せっかく終点の三保駅の近くには三保の松原という景勝地があるのに、そこへの輸送機関としてはほとんど機能しなかったようだ。

 1964年の時刻表を開くと、清水港線の旅客列車は1日4往復しか設定されていない。沿線の人々の通学や通勤、それも工場への通勤が主だったのだろう。

 貨物路線なのだからそれでも充分。むしろ1960年には国鉄では日本一の黒字路線(100円稼ぐのにかかるコストが54円で日本一)になったほどに活躍している。