もともと「面白いことを考える」タイプではなかった
――性格的にはどんな子どもだったんですか?
肥満 もともとめちゃくちゃ引っ込み思案だったんですよ。小学生のころなんか、授業中に当てられると泣いてしまうくらいで。でも小5~6年の担任の先生が、熱血ドラマを意識しているような先生で、その先生のおかげで少しずつ変われたんですよね。
その先生は、給食を残すことを絶対に許さないタイプでした。苦手なきゅうりがあって食べられないでいると、昼休みが終わって5時間目が始まっても「もう食べなくていい」とならずにそのまま。みんなが教科書を開いて黒板を見ているあいだも、僕だけずっと給食を見ているみたいな。
6時間目になって意を決してきゅうりを食べるんですけど、ムリすぎて吐いちゃって……。そしたら授業が中断されて、先生が「みんなで片づけよう!」と。ほかの生徒が僕の吐いたものを片づけるんです。
――それは「熱血」を超えているような……。
肥満 たしかにこれはキツかったんですけど、なぜか僕はその先生が好きでした。全力で応えてくれる人で、何をしてもスカすことがなかったから。どんなときも全力で向き合ってくれる人で、何をしても応援してくれる。それで少しずつ、役職を引き受けてみたり、「前に出てみようかな」と思えるようになったんです。今も、あの先生には感謝しています。
――お笑いはいつから好きでしたか?
肥満 兄の影響で小学生から『爆笑オンエアバトル』や『M-1グランプリ』といったお笑い番組をよく観るようになりました。なかでも『内村プロデュース』が大好きで、「いつか内Pみたいな番組に出たい」と思うようになって。特にあこがれてたのが、さまぁ~ずの三村マサカズさん。中学生ぐらいのころから、お笑いの世界に入ってみたいと思うようになっていきました。
――その頃には性格も変わって、人を笑わせるタイプだったんですか?
肥満 自分が人を笑わせたいとか、表現したいとかではなかったです。ただ「お笑いの世界に入ってみたい」という気持ちのほうが強くて。ネタとかにも、そこまで詳しくなかったんですよね。
内向的な性格で、周りから見ても「芸人になりそうなやつ」には全然映ってなかったと思います。中高でも、教室の隅っこで、別におもしろいことも言わないグループにいましたし、「目立たないけど、実は頭の中ではおもしろいことを考えている」みたいなタイプでもなくて。面白いことを考える気もなかった(笑)。
大学生になってお笑いサークルに入ってから、「ネタってこうやって作るんだ」と、ようやくわかり始めた感じです。頭の中にあった「好きな語感」とか「フレーズ」に対して、「こう表現すればウケるんだ」という出力方法を、そこではじめてつかめた気がしますね。
撮影:深野未季/文藝春秋
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