『はじめの一歩』連載中、一度だけ「別の作品」を描いた理由

 それだけ目の前の目標を超えることに集中してきた森川さんだが、一度だけ、同時進行で別の作品を手掛けたことがある。それが、2012年から2年間、週刊少年マガジンで不定期連載した『会いにいくよ』。東日本大震災の際、ボランティアに駆け付けた絵本作家・のぶみの実体験をマンガ化した作品だ。

『はじめの一歩』連載中、ただ一つ描いた別の作品『会いにいくよ』 ©石川啓次/文藝春秋

 このマンガの巻末に、交流のあったのぶみから被災地での体験をエッセイマンガにした『上を向いて歩こう!』が送られてきて、それを読んですぐに「描かねばならない」と思ったというエピソードが掲載されている。

 なぜそう思い至ったのか。森川さん自身も東日本大震災の発生直後から何度もマンガ家の仲間たちと福島を訪ねているのだ。『賭博黙示録カイジ』などで知られる福本伸行から「被災地に行こう」と声をかけられたのがきっかけだったが、原発事故の先行きが見えなかったこともあり、最初は乗り気ではなかった。

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「当時はいろいろな話が出回っていましたからね。福本さんに、万が一のことがあったらどうするんですか? 責任とれるんですか? と聞いたんです。そしたら、『取れるわけねえだろ』と言われて、そりゃそうだよなって思ったんですよ。むしろその言葉を聞いてスッキリして、行くことに決めました」

 2011年4月23日、福本の呼びかけに賛同したマンガ家12人が、福島県川俣町へ向かう。当日は、会場の体育館をぐるりと囲むほどの行列ができた。そこで大勢の人にサインをした森川さんは、避難所として使われていた講堂にも足を運んだ。そこで出会った子どもたちに「また来てね」と言われて、「また来るよ」と答えた。その約束を果たすために、それから何度も足を運ぶことになる。

 2回目以降は自らマンガ家仲間に声をかけて、現地へ向かった。そこで子どもたちと記念撮影をした写真を、『はじめの一歩』のカバーに掲載した。この経験があったから、『会いにいくよ』を描こうと思ったのだ。

自ら被災地に足を運び、作品もアシスタントを頼らず全て自分で描き上げた ©石川啓次/文藝春秋

 当初、全5回を1年で描き終える予定だったが、2年かかった。そこには譲れない思いがあった。アシスタントの手を借りず、最初から最後まで自ら仕上げているのだ。

「被災地を見ていない人が描いちゃダメだと思ったんです。例えば、僕らが現地に行った時、瓦礫に棒が刺してあったんですよ。黄色いテープが巻いてある棒は周囲の瓦礫を取り除いて大丈夫、赤いテープが巻いてある棒のあたりは未確認、もしくは遺体が埋まっているという意味でした。それを現地で実際に見ているのと見ていないのとでは、線が変わります。だからぜんぶ自分で描きました」

 森川さんは2014年3月7日に発売されたこの作品の初版分の印税をすべて寄付した。

次の記事に続く 「休載しすぎ」「筆が遅い」と言われることもあるが…『はじめの一歩』森川ジョージ(60)が語る「創作の苦労」

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