山本健一という男…鶴田浩二襲撃事件で逮捕歴も

 山本健一は、大正14年3月5日、兵庫県神戸市に生まれた。昭和24年に大阪電機学校(現・清風高等学校)を卒業した。横須賀海軍工廠に務めたが、召集され昭和20年1月に鳥取の部隊に入隊。終戦後、神戸に戻ったが家族の消息も摑めず、自暴自棄となって無頼の生活に入っていった。

 昭和26年ころ、3代目山口組若頭の安原政雄と出会い、安原の若衆となって山口組に傘下入りした。昭和28年1月には、有名な鶴田浩二襲撃事件に参加し、逮捕される。

 なお、この事件は、3代目山口組組長の田岡一雄が、かわいがっていた美空ひばりと鶴田浩二のジョイント公演を提案して断られたことが発端といわれている。昭和32年、田岡一雄から盃を受け、直参に昇格した。昭和36年に山健組を結成。

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 昭和38年、田岡の提案で設けられた執行部体制の下で若頭補佐役に就く。昭和43年の新体制で再び若頭補佐に就任。昭和46年7月、当時若頭の梶原清晴が大隅諸島の硫黄島で磯釣り中に溺死すると、その年の9月に後任若頭に就任した。「イケイケの山健」の異名を持ち、武闘派としても知られる。

写真はイメージ ©アフロ

安藤が俳優をやめた理由

 さて、安藤が俳優をやめた理由は、俳優をやっていても面白くなくなってきたためだという。もちろん、東映に入ったころは映画の世界も面白かった。名優と呼ばれる俳優は、50歳から年輪を刻むともいう。が、安藤は、そんなことにはそもそも関心がなかった。

 やめるには、こんな出来事も影響したという。

 昭和48年10月27日公開の映画『現代任侠史』の撮影のときだった。銀座で銃撃のロケーションがあった。リハーサルで拳銃を撃つシーンだった。

 リハーサルゆえ、口で「バーン、バーン」と言わなければならなかった。銀座といえば、知り合いがたくさんいる。場所柄、安藤のよく知る女性たちも撮影を見ていた。

〈こんな連中を前に、50近い、いい歳の大人がいくら撮影のためとはいえ、口で「バーン、バーン」なんて言えるか。いくら何でも恥ずかしいし、格好悪い……〉

 それだけは勘弁してほしかった。

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