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社会復帰後、またもや罪を⋯
杉山は宮城刑務所に移管され模範囚として過ごし、事件から21年後の1970年3月、38歳で仮出所する。これが大きな過ちだった。
社会復帰した杉山は、刑務所で覚えた印刷の技術を活かして東京都内の印刷会社に就職。表向き、真面目な印刷工として働く。一方、杉山が住んでいた横浜市南区庚台のアパートの部屋は家出少女や不良少女たちの溜まり場になっており、1982年ごろからは、親が離婚し父子家庭だった川崎市中原区の小6少女(当時11歳)と同棲を始める。
杉山は、いわゆるロリコンだった。しかし、1984年7月8日、当時13歳になっていた少女がアパートから彼女の友人である東京都杉並区在住の14歳の女子生徒の家に逃亡。杉山はそこに押しかけ「戻ってきてほしい」と懇願する。
同日16時ごろ、家にいた女子中学生5人に「おじさん帰りなよ」と冷たくあしらわれ、同棲していた女子生徒にも「歳が違いすぎる」「別れたい」などと言われたため激昂。
いったん外に出て金物屋で登山ナイフを購入した後、18時ごろ、公衆電話で13歳少女を「井の頭線の明大前駅にいるから来い」と呼び出す。
少女は恐る恐る申し出に応じて、14歳生徒に付き添ってもらい杉山に会った後、杉並区永福1丁目の明治大学和泉校舎正門前・甲州街道の歩道橋上に移動。この間も杉山は必死に復縁を懇願したが、少女が頑として応じなかったため、2人をナイフで滅多刺しにする。